超読解『ニコマコス倫理学』
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ニコマコス倫理学 第1巻第13章 <現代語意訳 荒木 勝 + 石井 泉>
1-13 【政治を志す人は霊魂(たましい)について一定の見識を持つべきである。霊魂には知性的部分と欲求的部分がある。夢もまた霊魂の一種の活動である】 幸福とはアレテー(徳、卓越的力量)に即した霊魂(たましい)のある種の […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第2巻 第5章
第5章 それでは、アレテー(徳、卓越的力量)とはそもそも何なのかを考えてみることにしよう。まず、アレテーは魂にかかわるものであり、魂において生じるものとしては「パトス(情念、受動性)」「デュナミス(能力、可能態)」「 […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第2巻 第4章
第4章 ところで、こんな疑問を口にしたいと思っている人がいるかもしれない。正しい人になるためには正しい行いを、節度ある人になるには節度ある行いをしなければならないというが、しかし、それはどういうことなのか。つまり、正 […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第2巻 第3章
第3章 なにか行為をするときに、それを快いと思うか苦痛と感じるかは、その人のヘクシス(心的傾向、状態)のありようを測るさいの一つの目安となる。すなわち、肉体的な快楽を抑制しながらも、その抑制することに悦びをおぼえる人 […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第2巻 第2章
第2章(2-2) われわれのこの講義は学問(テオーリア、認識)のための学問を目的としているわけではないのだから(つまり、われわれはアレテーとは何かを学ぶこと自体が目的ではなく、学ぶことで善き人となるのが目的であるのだ […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第2巻 第1章
第1章(2-1) さて、アレテー(卓越的力量、徳)だが、これには二つの種類がある。「知のアレテー」と「人格のアレテー」がそれで、前者は大部分を他から教わることで獲得するものであり、そのための経験と時間が必要であるが、 […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第13章
さて、幸福とは十全なアレテー(卓越した能力、徳)に即応した魂<アニマ、プシュケー。超訳者としては「生命」とする訳し方もあるのではないかと思う>のある種の活動なのだとしたら、こんどは、そのアレテーについて考えてみなければ […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第12章
以上のことが明瞭になったところで、幸福とは人が賞讃すべきものなのか、あるいは何か尊いものとして祝福されるべきものなのかを考えてみよう。どっちにしろ、幸福は単なる可能性(デュナミス)としてだけ論じられるものではないのだか […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第11章
さて、前にも少し触れたが、自分の子孫とか近親者の運不運は私たちの幸福に影響するのかしないのか。まったく影響しないというのはあまりにそっけない言い方だし、世間の考え(ドクサ、臆見)にも反することだろう。もちろん影響すると […]
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超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第10章
<前半> であるなら、生きている間はどんな人に対しても、あの人は幸せだとか不幸だとかいうべきじゃないのであって、ソロンに従って、そんなことはその人が「死んだときにしかわからない」とすべきなんだろうか。でも、それが正し […]