超読解『ニコマコス倫理学』

  • 超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第9章

     ここで、幸福はそれについて学び習慣化することで身に付けることができるのか、なにか訓練や練習をすることで、つまり個人の努力によって得られるものなのか、それともある種の神の定めとか運(ティケー)によって与えられるものなのだ […]

  • 超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第8章

     そうはいっても、この善=幸福の考察にあたって私たちは、私たちの結論もしくは前提をもってそれでよしとするのではなく、一般の人々の考えや言うことにも耳を傾けねばならない。私たちの考えが正しければ現実の諸相がそれと唱和するだ […]

  • 超読解『ニコマコス倫理学』第1巻 第7章

     第7章  では、私たちの求める「善」とは何かを検討してみることとしよう。    領域の異なる実践的活動や技術において、そのよきこと(善)はさまざまであると考えられる。たとえば、医療においての善と、軍事においてではその善 […]

  • 超読解『ニコマコス倫理学』第1巻 第6章

     第6章  ここで普遍的な”それ”(善のそれ)の問題を考察し、”それ”がどのようなものなのか言及しておいたほうがよいだろう。そのことで、「形相(エイドス)」、すなわちイデア […]

  • 超読解『ニコマコス倫理学』第1巻 第5章

    第5章  先にも述べたが、世間一般の人々にとっての善(よきこと)とか幸福とかは、ひとことでいえば快楽(ヘードネー)にほかならないだろう。それも無理からぬところで、ほとんどの人は快適で享楽的な生活を好んでいるものだからであ […]

  • 超読解『ニコマコス倫理学』第1巻 第4章

     第4章  さて、話をもとに戻そう。はじめに、どんな知識も選択的行為も、そのことごとくが何らかの善を欲し、求めていると述べた。では、もしそうだとすると、すべてを統べる政治が目標として希求する善、すなわち、私たちが追い求め […]

  • 超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第3章

    第3章  しかし、そうはいっても、私たちは私たちの研究対象の究明にこだわるあまり、完璧な論証をめざして汲々とすべきではないだろう。というのは、あらゆる問題にたいして論理(ロゴス)を極めるようなやり方で厳密性や完全性を求め […]

  • 超訳『ニコマコス倫理学』第1巻 第2章

    第2章  このような次第で、私たちはある特定の行為の目的をそれ自身のために願望したり、あるいは、それとは別の行為の目的や、その結果なり成果なりを願望するような場合であっても、それら私たちが願望し行うことすべてを貫くような […]

  • 超訳『ニコマコス倫理学』 第1巻 第1章

     幸福論の古典であり決定的名著であるアリストテレスの『ニコマコス倫理学』の超訳を、今後、不定期ですが掲載していきます。  ただでさえ難解とされるアリストテレス哲学、その学問的な厳密さを追求すると、とてもギリシャ語の読めな […]