必見!『ミリオンダラー・ベイビー』

ミリオンダラー・ベイビー [DVD]

きびしくも崇高な映画でした。前半を過ぎたと思えるあたりから、眼のうしろ側がムズムズしはじめましたが、病室での会話のシーンからは涙があふれ出ることを自分に許しました。しかしそれは、主人公ふたりの行動を肯定する涙です。
もちろん、日本で公開されたばかりのアカデミー賞4賞受賞作品『ミリオンダラー・ベイビー』のこと。


きのう、中一の娘と、同学年の娘の友人2人を連れて2駅先の駅前繁華街へ行き、彼女たちが劇場近くのゲーセンで遊んでいる間、それにはさすがにつきあいきれない私は公開を待ちわびていたこの映画を観ることにしたのです。
安易な勧善懲悪に流れない”きびしさ”は前作『ミスティック・リバー[Amazon]』も同様ですが、こっちは涙(ストレートな感情移入)を許さない作品でした。この差はなんだろう。ともにお涙頂戴的被害者意識の開陳作品でなく、主人公が加害者でもあるという視点から描かれている点では同等ですが、『ミスティック・リバー』のほうは一種の「勘違い」から人を殺め、『ミリオンダラー・べイビー』のほうは「認識」したうえで…、というところが違うのかもしれない。
しかしその差は微々たるもので、C.イーストウッドのなかでは、共通の主題、共通の視点がブレを生じることなく描かれていることに変わりはありません。家族(とくに父親と娘)、加害者の視点、つまり家族と社会、加害者と被害者、もっといえば善と悪、生と死という二項の対立を、「神」なき「規範」なき時代に生きながら、楽観的民主主義的アプローチでは解決できない”魂”の葛藤として描いているのです。むろん「お固い」だけでなくエンタテインメントとしてイーストウッドの見事な職人技を堪能できる作品なのですが、ほとんど「現代の神話」と呼びたくなるような域に達している点で、アカデミー賞を取ろうが取るまいが関係ない次元で、イーストウッドには黙って「よし!」と頷くしかないような素晴らしい映画でした。
映画のあと、娘たちと遅れた昼食をレストランでとりながら、それぞれ個性の異なるこどもたちを見る自分の視線が少しこれまでと違うことを感じていました。
メニューを見ながら、「食べたいけど、これ高いしなァ」とこちら(大人)のサイフを気にする少女たちの”まっとう”な気づかいに、ほっとしたり、感心したり。帰りのクルマの中での彼女たちのさわがしい会話が、輝きをもって聴こえてきたりして…。
『ミリオンダラー・ベイビー』必見です。
追伸(5月31日):きのうこれを書いたあとに気づいたのですが、このブログの前の投稿はマッキーさんからのもの。『ミリオンダラー・ベイビー』の女主人公(ボクサー)の名がマッギー(マギー)というのです。むろんなんの作意もありません。こんなところにも、なにか「偶然のいたずら」がはたらいているのかな? 『ミリオンダラー・ベイビー』はマッキーさんにもぜひ見てほしい映画です。


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