町まちウォッチング(つづき)1-2

 はいじまさんから次のようなメールが来ました。

 石井さんの文字の旅、まさにナジャ的な、石井さんが発見する、というよりは、石井さんが文字に誘われてする、意識の旅。美しいですね。ワン、1、11、犬の画像の連鎖的に行き交うおもしろさ。「無元」の文字の喚起するイメージ。確かに有楽町の一帯に、それは未だ健在?の「無元」ラーメン。確かにあの一帯は未だに猥雑な地域として残されて、つまりあの「ブレードランナー」のソフィステックな高層の街の下に、やむを得ず?作られたあの猥雑な飲屋街の町のつくりみたいで、随分昔からあるあの「無元」の文字は、せめて残されたあの街の象徴的な文字として、私などはうれしく見ています。
 石井さんがいわれる、あの街の新しい部分には、見るべき文字が無い、というのは正にその通りで、しかし、この間から石井さんに大きな示唆をいただいたレトロフューチャーの文字が、あるとすれば、その部分で生まれるのでしょうね。レトロフューチャーの文字、というのはそういう文字なのでしょうね。

 勝手ながら「師匠」と目する人にほめられるとは、なんともお恥ずかしく、しかし、うれしいことです。
 たしかに、『ナジャ』にちょっと「つきまとわれていた」ところはあるかもしれません。同時にはいじまさん(の言葉の糸。レトロフューチャーの文字)に導かれていたとも言えそうです。「偶然」にも何か導くものがあるのですね。「ブレードランナー」のイメージがでてきたのもうれしかったです。
 そこで、前回の「銀座(〜有楽町)」のつづき。

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 こういう町の風景も、遠からず失われていくのでしょうね。
 きれいに着飾っただけの「未来的」ユトピックな町など、なんか面白みがないですよね。いま、都市において「新しい」という言葉はもう古いのではないか。いま何が真に新しく未来的なのか、エポケーしなければならないでしょう。
 この写真を選んだのは、2,3年前に亡くなった友人Tさんとここでときどき飲んだことがあり、はいじまさんも親しい「環境アート(ランドアート)」の芸術家アンディ・ゴールズワーシーが来日したとき、そのTさんが「彼(アンディ)をここにつれてきて、いっしょに飲んだんだよ」とちょっと(いや、かなり)得意げに話してくれたことを、この有楽町駅そばの高架下にくるたびに思い出すからです。

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 ついでに、先日は紹介できなかった「文字」をもう一枚。らーめん「笹丸(ささまる)」と読めます。高架の赤レンガとエアコンの室外機が、「やむを得ず」結果的に看板の板と一体にデザインされていて惹かれました。同質の新しさよりも異質の組み合わせが面白い。一種のブリコラージュの妙ですかね。
 ところで先日(26日の金曜日)、雨のなかをトッパンの印刷博物館に(やっと)行ってきました。「百学連環 百科事典と博物図譜の饗宴」という企画展をやっていましたが、この博物館いろんな意味でたのしめました。よかったです。事務所の近くなのでいつでもいけると思っていてなかなか行けませんでした。これも、はいじまさんの言葉(文字)による「導き」です。ミュージアム・ショップでグーテンベルクの絵はがき(写真下右「グーテンベルクの印刷工房」彫刻は河野昌一)を買いました。グーテンターク、なんちゃって!?

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