フランシス・フォード・コッポラの最新作『ヴァージニア』。『コッポラの胡蝶の夢』(07)からつづく再帰第3作目。TUTAYAのレンタルDVDで見た(レンタルできるのはTUTAYAのみ)。
なんだかんだ言っても、やっぱりコッポラはおもしろいし、好きだな。
どんなテーマでも娯楽として見せる嗜好・手腕というか、ある意味、通俗的な美学がそこにあって。映画を見ることの快楽を知っているし、その欲望に忠実であろうとする。というか、自覚的に一種の「夢」の機能を映画に変換しているみたいなところがある。
『胡蝶の夢』がミルチャ・エリアーデ(一時期、私も耽読したルーマニアの宗教学者)の原作で、どこかユング的だったり、ゴシック・ロマンスといっていい今作の『ヴァージニア』にエドーガー・アラン・ポーを亡霊として登場させたり、ランボー風の美少年にボードレールの詩句を口ずさませたり、スティーブン・キングを引用したりと、つまり、いろいろと「文学的」に、知的に装ったりするのだが、それがディレッタントの嗜好にとどまっており、いささか気恥ずかしくなってしまう面もないことはない(『地獄の黙示録』ではカーツがフレイザーの『金枝編』を読んでいたりする)。
でもコッポラの場合、そのディレッタンティズムが映画という「大衆芸術」の形式に合っていて、その点にこそ彼のプロの感性と技が生きていて、やはりディレッタントである私のような「見る者」を気持ちよくさせてくれもするのだろう。その意味で、きわめて幼児的で多形倒錯的といっていい。
筋書きが説得的に展開しきれていない不完全さは残り、未完成なまま無理やり終らせる、つまり若干尻切れトンボな感はあるが、だからこそかえって、このような「小品」に見る者は愛着を抱いてしまうのかもしれない。良くも悪しくも、あまり巨匠然とした感じがしないのだ。
主役のヴァル・キルマーがオカルト作家を「普通の人間」っぽく演じていて、妙におかしくていい味出してるし(若ければ、いかにもジェフ・ブリッジスが演じそう)、なんといっても美少女エル・ファニングが、いまこの時であればこその中性的で、天使的かつ悪魔的、実在していたらアナベル・リーもかくあらんと思えるほど魅力的。
コッポラとは浅からぬ縁のトム・ウェイツがナレーションをやってる。それも私にとってはうれしいこと。そういえば、トム・ウェイツのアルバムに『アリス』っていうのがあった。『ヴァージニア』はコッポラ版「(不思議の国の)アリス」といってもいいのかもしれない。家族主義者コッポラの、彼の娘(ソフィア・コッポラ)に対する愛などがこの作品にも反映しているのかもしれないなどと、連想の糸が紡がれ、あらぬ方向へ伸びていくのだが、、、今日はこんなところで。
あっ,でも、最後に一言。村上龍が「恐いけど美しい、美しいけど恐い」とこの映画の推薦コピーを書いているが、いくら宣伝のための常套句とはいえ、この映画にはせめて「恐いから美しい、美しいから恐い」って言うくらいのセンスがほしいな〜っ。
『ヴァージニア』、コッポラの「アリス」
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コメント
“『ヴァージニア』、コッポラの「アリス」” への2件のフィードバック
石井様
久しぶりの映画評の名調子に 心からの賛辞と拍手を送ります。
それにしても、私のコッポラは 何と『ゴッドファーザーⅡ』ぐらいで
途切れているのが悲しいです。
そういえば、ほぼ同年代の? 大島渚監督が逝ってしまいましたね、、、、
あと 最後の村上龍氏に関する指摘は全く同感です。
たまに更新すると、話が映画のことばかりで、、、すんません。
なにか書かなきゃと思うと、自分にとって、やっぱり映画についてが、わりに気軽に書きやすいんですね。
今回は、この映画自体に対する賛辞というよりは、コッポラをもっと「認めて」もいいんじゃないかと思って。っていうか、いま若い人たちはコッポラという存在さえ知らないんじゃないか。
最低でも『ゴッドファーザー』くらいはパート1だけでもいいから、ビデオ(DVD)でいいんで見てほしい。
庵頓さんには『地獄の黙示録』を見てもらいたい、そして感想をお聞きしたい気がします。
大島渚では私は『少年』という作品が、とくに忘れがたいです。『愛のコリーダ』も嫌いじゃない。『戦メリ』は坂本龍一の音楽でしか知らない人がもう多いかもしれない。
まだまだ「やれる」と思ってました。残念です。合掌。