東北の「小さな旅」極私的報告(2)

120223-1.jpg で、まずは友人のお店に寄って閉店後の店内を見せてもらった。ちょっと「通」好みで高級な部類の珈琲豆をその場で焙煎して売っているのだが、テーブル席も2、3あって、焙煎の終るまでそこでコーヒーを飲み「世間話」をしながら待つことができるらしい。顧客のほとんどは、そんなつきあいからできた常連客だという。
 壁にはジャズのレコード・ジャケットが数枚飾られていて(たとえばビル・エヴァンスの名盤『ポートレイト・イン・ジャズ』。店の名前もこの名高い白人ジャズ・ピアニストからきているのだろう)少しジャズ喫茶風の雰囲気がある(じっさい、営業時はジャズを静かに流すらしい)。彼は今でも自分の趣味としてレコード観賞はつづけているようで、彼の家に行くとき「きみに見せたいものがあるんだよ」という。私は何の事か、まあ、最後に会ったのはいつだったか正確には覚えていないほど会うのは久しぶりだから(20年ぶりくらい?)、そりゃなんかあるだろう、貴重なコレクターズ・アイテムなレコードでも見せてくれるのかな、っていうくらいの「ふーん?」って感じだった。
 店からすぐ近くの彼の住まいは2、3日前東京でグーグル・マップのストリートビューを見ていたので、ちょっとデジャ・ビュな感じで「そうそう、ここ、ここ」と胸の内でつぶやいていたら、玄関の扉の前で突然、言っておきたいんだけど、とその友人Tくんから注意事項を言い渡された。この家には奥さんひとり(当たり前)と猫が3匹いる。この3匹の猫と私は初対面となるが、この家の猫は知らない人間が家に入ると隠れてしまってけっして姿を見せない。とくに、3匹のうちの1匹が極度の「人見知り」で、他の2匹にもその気分が伝染する恐れがある。猫と対面してほしいし、あなたが猫に敵愾心をもたれるのはオレの本意ではない。だから、まだ部屋に猫がいるうちにぜひきみに対面させたいので、玄関を入ってからしばらくは何気ない素振りで静かに動いて、口をきくなというのである。
 それで、まあ、私か猫かどっちに気をつかってくれているのかよくわかんないまま、「お邪魔します」と奥さんに挨拶も述べず、そっと音をたてずに靴を脱いで玄関をあがった。居間(と思われる)の扉のすき間から1匹のキジトラな猫の顔がのぞき、すぐに姿を隠してはしまったが、居間にいた他の2匹とも無事対面できたのでよかった、とほっとする間もなく、私が居間の床に荷物(リュックサック)を(そっと)置くやいなや、Tくんはまず見せたいものを見せるから、2階に行こうと私を誘った。
 そして、彼のあとについて階段をあがり、あがったすぐの部屋のドアを開いて、なかに入ったところに、私の父親がいた。私は思わず「あっ」と声をあげた。
 その部屋は天井が傾斜した屋根裏部屋っぽい感じの小さな部屋で、家具類はほとんどなく、オーディオ装置とレコードの収まったいくつかの木の棚、部屋の中央にゆったりとした椅子が一脚あるのみのリスニングルームだったのだが、この「棚」が親父だった。つまり、この小部屋にあった木の棚は私の父がつくったものだったのだ。
 友人がニコニコしながら、もう30年になるけど、寸分のくるいもない、このあとさらに30年たっても変わらないだろうと言うのを聞きながら、私はいささか眩暈に似た感覚におそわれていた。すっかり忘れていたが、そうだったのだ、このレコード棚(ボックスといったほうがよいか?)は間違いなく、当時京浜蒲田で「木工所」をやっていた私の父が、レコード・コレクターであった彼の注文に応じて特別に誂えた「手作り」品なのである。そう、たしかに、そんなことがあったのだ。記憶が急激に甦ってきた。
 私の父はいまから15年ほど前に亡くなったが、父が生きているあいだも、死んだあとも、そんなことがあったことを私は完璧に忘れていた。この木の棚ができたのは30年ほど前のことだから、親父が家具職人を引退する数年前のことになるだろう。このころは若い職人さんをつかう立場だったし、経営上の都合もあって、滅多にこういう私的な「小さな」注文には応じなかったと思うが、私の友人の頼みだから仕方ない特別だ、という感じだったのだろう。じっさい職人さんを煩らわせず、自分の「手」でつくったものだ。
 見た目はまったくどうということのない、正方形に仕切った「ただの」棚である。しかし、なんといったらよいか、この飾り気のない外観とガチッとした質感は、まぎれもなく親父の手になるもの、親父以外の誰がつくったものでもないことが一目で感受できる。ちょっと手でその肌理に触れてみると、なおさらである。自分の親のことなので大袈裟に言いたくはないのだが、「もの」の発するオーラってこういうものかと、正直、感心し感激してしまった。まさに、そこに親父がいるようではないか!
 こんな東北のはじめての地で、まさか父と出会うことになるとは!
「あなたの親父さんにつくってもらって、もう30年。この間引っ越しもしたし、地震があったり、いろいろあったけど、毀れたりゆがんだりしているところが皆無。1ミリのくるいも生じていない。こっちのCDの棚は(と別の壁面にある棚を指して)、買ってまだちょっとだけど、もう板がそってる……。こういうのを一生ものっていうんだね。いまの時代じゃ、ほとんどありえない話だよね。重ねても使えるようにいくつかつくってもらって、そのうちのひとつは、他の部屋にあるんだけど……」と、友人は時の経過を感じさせないその堅牢さを絶賛してくれた。
120223-2.jpg 私は友人の話を聞きながら昔の記憶が甦り、その糸をたどろうとしていたが、思い出の細部はジグソーパズルのピースのように失われたままで全体がなかなか絵になってくれないもどかしさもあった。そんなことより、ふいのその「ものの現前」にいささか面食らったまま、しばらく気の利いた言葉が口から出ず「これは、たしかに親父だ…」とつぶやくしかなかったのである。そして、そのときなぜか手にしていた新しいデジカメで、なんとか1回シャッターをきるのがやっとだった(いくつかある棚のうちの2つが並んだもの。昔、ともによく聴いたジミー・スミスの『ザ・キャット』のジャケットが目にとまる。照明の反射でよく見えないが、ここにも猫がもう一匹いたのだ! 彼は持っていたレコードの半分ほどを少し前に「処分」したというが、これは残ったもののごくごく一部)。Tくんは毎日、寝る前にこの部屋で1時間くらいはレコードやCDを聴いて過ごすという。
 外で食事をしたあと家に戻り、こんどはフツーに居間にはいって、いっしょにお店も手伝っているという奥さんの淹れてくれた馥郁たる香りのコーヒー(さすがプロ!)をいただきながら、昔の思い出や、3.11の震災のときのことと原発(事故)のこと、互いのからだのこと(母の死と震災後私を突然襲った高血圧症のこと)、音楽のことなどをとりとめもなく3人(と、人見知りしないほうの猫1匹)で話しているうちに、いつのまにか夜も深々と更けていくのでした。
 外はおそらく氷点下、寒空にオリオンがキラキラと輝いていることでありましょう。
 
 翌日の塩竈探索へと、お話はもう少しつづく(多分)。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ:

コメント

“東北の「小さな旅」極私的報告(2)” への3件のフィードバック

  1. 庵頓亭主人のアバター
    庵頓亭主人

    石井様
    「亡き父上の手造りのレコード棚との30年ぶりの再会」なんて、とても素敵な
     出来事ですね、、、、、
     
    それに その友人の方のオーディオ/音楽の趣味もとても洒落ていると思います。
    20年?ぶりの再会が、一挙に空白の時間を消滅させるような過去との邂逅を
    さり気なく演出する その友人の方のお人柄がとても素敵です。
    どこかひと時代前の「掌編小説」を思わせるお話のようですが、、、、
      <この先の成り行きにも、心待ちにさせられますが、、、、>
    庵頓亭主人

  2. iz ishiiのアバター
    iz ishii

    はい、塩竈の「仲卸魚市場」での出会いと、遊覧船のことをちょっと書き記しておきたいので、また、時間と気持ちの余裕ができたとき筆をすすめたいと思います。毎度、拙文におつきあいいただき、感謝感激しております。励みになります。

  3. waheiのアバター

    「猫足で、家に入ってくれ」ってことなんでしょうね。
    言葉の軽妙な意味がそこかしこに隠れていて、思わずほほが緩みます。
    お父様との再会、思わぬところでありましたね。
    同じような記憶は、僕にもあります。
    といっても、ものを作ることとは縁遠かった父でしたが、なぜか炒飯と水団だけは作ってくれました。
    父の炒飯はバターとネギ、そして卵とあり合わせの肉。最後に醤油を焦がして完成なのですが、なかなかあの味を再現するのが難しかったのです。
    記憶のなかでも、味覚はそれほど時によって変質しないと思うのですが、やっぱり時の流れには逆らえないのかな、とも感じます。