この間の映画備忘録

先のアリ研合宿のさい、蓼科の「無藝荘」で行われた荒木先生の講演録を「はじまりのアリストテレス <家族論>」として、本サイト「カンガエドコロ」に掲載しています。東日本大震災、家族、アリストテレスという3つの軸を螺旋状に周りながら話が展開されています。興味・関心のあるかたは、どうぞお読みください。
また同じ「カンガエドコロ」で、「無藝荘」での講演を縁に、小津安二郎の映画を再見したアリ研メンバーによる作品分析と感想も3回連続の予定で掲載しています。こちらも、ぜひ。
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映画といえば、このところ本ブログが書けずにいますが、それは書くネタがないためではなく、逆に、ありすぎて、何をどう書くか、自分のなかでうまく整理できていないせいです。それを探りながら書きはじめれば、なにか「書けてしまう」とは思うのですが、「仕事」や「家」のことなどいろいろあって、なかなかその気になれず(集中できず)、、、。その点、映画を「見るだけ」なら「受け身」で享受できる利点がありますね。
自分自身のための備忘録として、前回のブログ以後に見た映画(ほとんどはDVDだけど。「再見」含む)のだいたいを、「主観的記憶」とともにリストアップしておこう。タイトル、スタッフ、キャスト名などちゃんと調べず記憶だけで書いているので、すでに忘れてしまったものもあり、間違いがあるかもしれないけど、悪しからず。それがまた、意識の傾きを示していて、ある意味(自分にとっては)興味深いかも!?
9.13『ザ・キラー・インサイド・ミー』(ウィンターボトム監督) 9.15『ボディクライム 誘惑する女』(ハーベイ・カイテル、エマニュエル・ベアール主演) 9.18<於埼玉県草加市、特別養護老人ホーム「明生苑」で慰安コンサート出演> 9.20『ドッグビル』(ラース・フォン・トリアー監督、ニコール・キッドマン主演) 9.21<村上春樹『意味がなければスイングはない』読了> 9.23『浮き雲』(アキ・カウリスマキ監督) 9.26『ブラックスワン』(ナタリー・ポートマン主演) 9.27『トゥルー・グリッド』(コーエン兄弟脚本・監督 ジェフ・ブリッジェス主演) 9.28『メディア』(ラース・フォン・トリアー監督) 同日<内田樹『レヴィナスと愛の現象学』読了> 10.3『マンダレイ』(ラース・フォン・トリアー監督) 10.4『英国王のスピーチ』(ヘレナ・ボナム・カーター助演) 10.5『猟人日記』(ユアン・マクレガー主演) 10.8『リミット・オブ・コントロール』(ジム・ジャームッシュ監督) 10.10『ユリシーズの瞳』(テオ・アンゲロプロス監督、ハーベイ・カイテル主演) 10,11『暗黒街の弾痕』(フリッツ・ラング監督) 10.12『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ監督、於渋谷) 同日『銀座化粧』(成瀬巳喜男監督) 10.16<於東京都足立区、障害者施設「白鳥福祉館」でコンサート出演 「スウィート・ビター・キャンディー」(ムーンライダース)「公衆」の前で初の演奏・歌お披露目>  同日『月世界旅行』(ジョルジュ・メリエス)他 10.17『主婦マリーがしたこと』(クロード・シャブロル監督、イザベル・ユペール主演) 10.18『バルカン超特急』(アルフレッド・ヒッチコック監督) 10.19<オルハン・パムク『雪』読了> ・・・


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コメント

“この間の映画備忘録” への2件のフィードバック

  1. 庵頓亭主人のアバター
    庵頓亭主人

    石井様
    それにしても すごい量の「映画鑑賞」とその合間の読書に感心することしきり
    です。  < またまた その合間の アマチュア音楽活動も、、、、、>
    ところで、内田樹氏は最新刊の映画評論集『うほほいシネクラブ』のあとがきで
    「映画は単独で自立しているわけではなく、「その映画について語られた無数  の言葉」を含んだ「文脈」のうちで見られる他ない」とも「映画が映画について
    語られることを欲望しているジャンル」とも言っています。
    これなどは、まさに典型的“内田節”の映画定義ですね、、、、、
    2011・10・27
    庵頓亭主人

  2. Iz Ishiiのアバター
    Iz Ishii

    おっしゃるように「映画は映画について語られることを欲望しているジャンルである」というのは至言ですね。
    映画を見ると、その映画について誰かと語りたくなる、本なんかよりもそのことは言えるし、本よりも語ることがしやすい(しかし、その分、意見が合わないと、その人に対する「不信」が芽生えたりして、、、(笑))。
    なぜだろう、と思っていました。映画がそれを欲望しているのですね。映画についての映画が多くある、そんな映画のほとんどは面白くて好きな映画で、そんな映画を見るとなおさら語りたくなるわけもわかったような気がします。
    しかし、さらに、なぜ、そうなのか?
    目(視覚)の構造とか、「鏡像」とか、夢とか、要はそこに言葉と表象の問題があるように思います。
    終らない語り、、、満たされない欲望、、、なので、映画もえんえんと見続けるほかなくなる、、、のですかね。