亡き友からのメール

先月末の話になるが、facebookを試しにやってみようと思い立ち登録したところ、すぐにある人から「友達リクエスト」のメールが届いて、驚いた。「友達リクエスト」というのは、ユーザーならご存知のように、facebook内の友達、つまり通信仲間としてこの人を承認するかどうかを訊ねるものだ。
facebookの反応の速さに驚いたというばかりではない。
私が登録のさいに記した「プロフィール」をもとに、その事項と関係のありそうな人物として「ある人」が自動的に割り出されたのであろうが、facebookのそのメールに記された名前と写真を見てびっくりし、動揺してしまったのだ。facebookは実名が原則で、同姓同名の人がいた場合の混乱を回避するために自分の写真を貼り付ける。それを見るかぎりこの「友達」は、まさに正真正銘の私の友達で、古くから親しいつきあいが細々とながらもつづく数少ない友人だったひとりだ。
「だった」と過去形で書いたが、それはつまり、メールで承認をもとめてきた「友達」は、承認するまでもなく私の友達だったが、彼はすでに亡くなっている故人だったからだ。
亡くなったのは昨年のことだが、このメールの2週間ほど前(4月11日)に写真家だった彼(Lieuichiくんとしておこう)の一周忌に合わせた「遺作展」を、家内とともに四谷三丁目のギャラリーに見に行き、やはり大学時代の私の友人だった彼の奥さんと言葉を交わしたばかりのことだった(遺作展の案内状を最初に投函してすぐにあの地震があった。なにより、原発の事故に気が滅入った。もう人間もこの世界もおしまいなんじゃないか。あの人(夫)はこの嫌ぁ〜な、気分の悪くなる状況を知らずに逝ってよかったように思う」というようなことを語ってくれたけど、別の話になるのでこれ以上触れない)。
このメールを受け取った何日か後、facebookの彼のページを見て、遺作展の「広報」のために彼でない誰か(奥さん?)が彼の名と写真でfacebookを活用しようとしていたことがなんとなくわかったが、「友達リクエスト」のメールが届きそれを目にしたときは、死んだ彼自身が「向こう」の世界から通信してきたような気がして「えっ!」と思い、うれしいような切ないような、なんとも不思議な心持ちになったわけなのである。
彼にはいたずら好きな一面もあったし、仕事で行き、生前の彼との最後の別れともなった四国取材は、何かといわく付きだった(長い話になるので、やはりここでは触れないが、私のもうひとりの亡くなった友人カメラマンと関係していること、それとは別に、Lieuichiくんの生前の意思により、彼の死の報せを受けたのは四十九日を過ぎたあとであり、私は彼の死にショックを受け落ち込んだこと、その後催された昨年の「送る会」には、母の法事と重なったため私は出席がかなわなかったことだけを記しておきたい)。
 ★
bunmiojisan110509.jpgじつはこの日、Lieuichiくんの遺作展に行く前に、渋谷で映画を見た。
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブンミおじさんの森』である。大震災の前から見たいと思っていたものだが、震災後はじめて映画館で見る映画として、これを見ることができた。
ティム・バートンが審査委員長を務めた昨年(2010年)のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品だから、ご存知の人も多いだろう。
タイ東北部を舞台として、森と都会、動植物と人、過去と現在、闇と光(なによりも東南アジア特有ともいえる濃密な「闇(陰)」と気配)、死と生との交感/交歓、つまり死者と生者の一種の「霊的交信」を描くこの映画を見てから四谷での遺作展に赴いたことも、いまから思うとなにやら暗示的である。「意味」は、事後的に、つねに遅れて生成されるものだとしても。
映画のチラシには次のような惹句があった。
いくつもの時を生き 穏やかに 目を閉じる。いつかどこかで また会える。


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コメント

“亡き友からのメール” への2件のフィードバック

  1. 庵頓亭主人のアバター
    庵頓亭主人

    石井様
    やはり昨今のような心塞がれる時期には、このようなしみじみとした思いの
    文章に心安らぎます。
    しかし亡き友からのFacebookへのアプローチなんて、とても意味深長で また一際暗示的な出来事のように思われます。 
    <そのよって来たる様々な背景/経緯はさしあたり別のものとしても、、、>
    彼岸に去った人々との霊的交感/交歓は、日本の歴史・文学の世界でも極めて一般的/普遍的なテーマであるようにも思われます。
    それは、私がこのところ俄かに繙くようになった平安/鎌倉時代の歴史/文学
    の作品でも色々なカタチで取り上げられています、、、、、
    (物語文学は謂うに及ばず、和歌や はたまた陰陽師の跋扈まで、、、、)
    映画『ブンミおじさんの森』は未見ですが、きっと趣/味わいの深い映像だったのではと推察いたします。
    余談ですが、先日NHKBSで放映された 成瀬『浮雲』はしっかりとDVDに収録しましたので、これからじっくりと鑑賞するつもりです、、、、、
    庵頓亭主人

  2. 石井のアバター
    石井

    庵頓亭どの
    いつもながらの、当方の、自分でも意識化前の言いたいことの本質を繊細に汲み取り、補足していただいているかのようなコメントをありがとうございます。
    いずれ、じっくり、日本の歴史/文学/芸術をめぐって、お話を拝聴したいものだと思います。
    やはり「霊性」という言葉がひとつのキーになりますかね。
    映画というものがその端緒において、ファンタスマゴリアなど一種の「降霊術」と関連していた歴史を思い起こしました。映画に限らずメディアというものがそもそも、多かれ少なかれ「魔術」的な効果を及ぼすものであったともいえるのかもしれません。そのなかで、ことに映画はまだその機能を強く遺し持っている。映画に惹かれるのはそのためなのかもしれないと、庵頓亭さんのコメントを読んで改めて思います。