パラドッグスの夢 〜2人展Dystopiaを見て〜

Jonathan Shimony の
召喚された犬たち
しかし、犬の姿はそこには、ない
地下=冥界の白いギャラリー
(入口あたりの壁に掛けられた小さな絵の中に、
一匹だったか二匹が亡霊のように描かれているだけ)
そこにあるのは犬の目、その目で見られた都市の風景
都市は病み、死に瀕している
犬は死の世界からの使者であり、生と死をつなぐ案内人である
——絵に潜む、闇の中の黒い馬、ならぬ黒い犬
——ゴヤの漆黒、頭部だけの犬
——ルイス・ブニュエルの汚れた夜の犬(『忘れられた人々』)
犬の目の中で、都市のユートピアが靴下のように裏返る
情報だけがあふれ、コミュニケーション=贈与が消失した世界のディストピア
想像の眼差しさえ行方を奪われたこの近代都市から、
透明なモンスターが起ち上がる
裏返されたこの世では、犬は「生」の側につくのか
都市を徘徊し、ディストピアを透視する野犬の群れ
自然と人工(アート)の共生と共殺のパラドックスparadox
情報=都市=モンスターに脅え、吠え、戦う、見えない犬たち
パラドッグスparadogs!
100901.jpg
配島庸二の
打ち上げられた海辺の漂着物のように、
床にころがる炭書
炭に焼かれた書物、開けられない情報の入れ物
したがってこれは得たいが知れないモノ
しかし、白紙(タブラ・ラサ)ではない
なにも書かれていない、のではなく、なにかが書かれていた(いる)黒い本
なにもないのではなく、わからないなにかがある、のはわかる
なんだかわからないモノこその価値、すなわち
芸術が等価交換の物品でないことを打ち明けているモノ=作品=謎
未知からの贈り物、沈黙交易、交換のキラル
この贈与を受け取る者は誰か
返礼品は作者のもとへ巡ってくることができるのか
そもそも作者とは誰か
本はどのように書き換えられて未来へ帰還するのか
さまざまな問いを吸いとりながら、
都市の渚に生成する情報のストロマトライト!
文明世界のパラドックスを生きる二人のパラドッグス
その邂逅と別れ、来るべき「万人」との再会を夢見て
冥界を振り返ってはならぬ


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コメント

“パラドッグスの夢 〜2人展Dystopiaを見て〜” への2件のフィードバック

  1. 庵頓亭主人のアバター
    庵頓亭主人

    現代美術の場合、個性の異なる様々な表現者が複数/共同でコラボレーションすることにより
    新たな意味や価値が生まれて来るような気がします。
    今回の個展/展覧会を直接鑑賞することは出来そうもありませんが、この紹介文/鑑賞記により 私の貧しい想像力でも 表現のメッセージを少しはイメ−ジ/感受することが出来ます

  2. 石井のアバター
    石井

    ありがとうございます。
    おっしゃるとおりだと思います。
    私もこの展覧会を見るまでは、なぜ「2人展」なのか、作家側の意図がよくわかりませんでした。
    会場でもなぜこの「2人」なのか、たまたま昔からの知り合いだったからといった以上の説明はなく、逆にそれがよかったのかもしれません。
    「なぜ?」と問いながら見ることで、見る側の眼差しといったものが鍛えられるからです。
    批評のひとつのあり方は、想像力=言葉で反対給付(返礼)することにあると思います。