かいじゅうたちのいるところ(映画)

家のDVDレコーダーの調子が悪く、しばらく自宅の居間で映画を見る楽しみから遠ざかっていた(パソコンでは見てたけど)。VHSの機械もなぜか同時にいかれてしまって、、、。機械って、よく同時に壊れるんだよね、不思議と。
そんなとき、近所の店でDVDもVHSも一台で見れるやつを見つけ(中古品だけどHDDで録画もできる!)その場で衝動買い。
で、この休日に久しぶりにレンタルしたDVDを見たわけです。レンタル・ビデオ・ショップに出たばかりの『かいじゅうたちのいるところ』。劇場公開時に見逃していたし、おっこれこれ、休みの日に家で見るにはピッタシとばかりに、期待して。
あのセンダックの絵本をどうやって映画にするんだろう。興味深々。
で、見てみて、どうだったか。
あの映画が好きな人には何だけど、ショージキ言って、私にはあまり・・・でした。悪く言うほどではないけど、ちょっと残念。
過度に期待しちゃったせいもあるでしょう。
でも、原作の絵本を見てしまっている以上、どうしたってそれと照らして(比べて)見るなというのは無理な話で。
原作を忠実になぞるのではなく、脚色を加えて、原作とはまた「別の」味わいがあって、別の見方・愉しみかたのできる作品なら「あり」だと思う。
しかし、そういう作品だったら原作のことを忘れさせてくれるくらいの抜きんでた面白さや魅力がどっかにないと、「名作」の誉れには太刀打ちできないわけで(モーリス・センダック自身もこの映画作りに参加しているようだけど、やっぱり「それとこれとは別」ってことでしょう)。
原作を映像で「再現」するとしても、(文字で読ませる)小説などと違って原作は絵本なわけだから、逆に難しいことはわからないではない。
でも、そんなことは承知のうえでしょう? 再現の意味を取り違えているのかもしれない。
近年の映画にありがちなCGやヴィジュアル・イフェクツを使った「リアリズム」でなんでも再現できると思うのは大間違い。っていうか、何でもできちゃうからリアルを追求するあまり余計なことをやりすぎてしまって、嘘っぽさや安っぽさのなかにこもるなつかしさ=物語のリアリティってものがどっかに消え失せてしまう。
表情豊かなかいじゅう(怪獣)たちは確かによくできているかもしれない。しかし、かいじゅうがあんなに「人間的」に(説明的に)泣いたり笑ったりしていいものだろうか。
怖くもなければ可愛くもない、見ていてついついイラだってしまった。これだったらいっそ全編アナログな人形劇に仕立てたほうがよほど感情も移入できるはず。
大人たちはすでに忘れてしまった(というか、忘れざるをえない)子どもの心のカゲキさ、プリミティブな、それゆえの不気味さ、得たいの知れなさのようなものがぜんぜん表現されていない。もしかして、フェリーニが生きていて、彼が撮ったら・・・なんて想ってしまう。
つまり、すぐれた絵本のもつ「野生(未開)」のパワーからはほど遠い映画ではありました、とさ。
100604.jpgその「ほど遠い」感じは、砂漠をとぼとぼと歩く、マックス(少年)とキャロル(かいじゅう)の寂しげなたたずまいから見てとれなくもないし、牽強付会すればマックス→マックス・エルンスト、キャロル→ルイス・キャロルへの連想を誘いもするのだが(強引すぎるか!)。
・・・この映画は、近くに海のある砂漠のあの美しいシーンにつきるような気がする。
*右上の写真は10年以上前にハワイに行ったときにショッピング・モールでみつけた「かいじゅう」(キャロル?)。


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コメント

“かいじゅうたちのいるところ(映画)” への2件のフィードバック

  1. 庵頓亭主人のアバター
    庵頓亭主人

    私はM.センダックの絵本/イラストには詳しく無い というか殆ど知らないのですが(勿論、本屋さんで手にとってパラパラめくったことはありますが、、、)、この絵本とそれを基にした制作映画との表現上の齟齬に関しての論旨は何と無く理解出来ます。(こんな曖昧な同意の仕方は、失礼かも知れませんが、、、)
    ちょっと話しは跳びますが、最近文庫になった『小説の自由』(保坂和志)のなかでも 音楽・絵画・彫刻・文学など 表現ジャンルを異にする芸術表現/特性の違い等に 保坂氏固有の様々な思索・言及が為されていて 中々に興味深いものです。
    そして 特にそこで指摘されている『現前性』の重要性は、このことに関連する大切なポイントのような気がします、、、

  2. 石井のアバター
    石井

    庵頓亭さま
    ムムムッ、「現前性」ときたか。
    保坂和志の『小説の自由』も、おもしろそーですね。
    庵頓亭さんの「ちょっと話は跳びますが」の跳び方がとても刺激的です。
    先日、前のコメントで取りあげていたV.アファナシエフのCDを一枚買ってみました。
    そのショップにシューベルトのものがなかったので、取りあえずショパンの『ノクターン集』(1050円!)。
    いいですね! 
    あのゆっくりと静かにつま弾かれるピアノの音を聴いた瞬間、グッと全身が引き込まれました(自我が解体されたと言った方がよいか)。
    G.グールド晩年のゴルドベルク変奏曲(バッハ)の「アリア」をはじめて聴いたときがそうでしたが、同じように衝撃的でした。
    すごく、好きです。このショパン、これから何度も聴くことになりそう。
    他の作曲者のものも聴いてみたい! もちろん、シューベルトも!

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