バリ島への祈り – ジンバランの銀の雨

きょうのどんよりとした曇り空のように、なんだか重たく暗い気持ちです。
10月1日に起きたバリ島の同時テロ、私のようなものが気安くどうこういう資格も筋合いありませんが、しかしまた、他人事ではすませられない問題が重たくのしかかってきているような、なんともいえぬ嫌な気持ちに心がふさぐことも事実です。


身近なことでいえば、1日はたまたま親しい友人の父親の御逝去の日と重なり、その友人と昨年ともにバリを旅しただけに、すこし複雑な思いがしています。そのバリ滞在最後の日に、クタと同時にテロの起きたジンバランの、調理の煙のたなびく夜の海岸でバリとの別れをおしみつつ食事しているとき、雷鳴とともに銀の雨が降ってきたことも、きのうのことように覚えています。
2002年10月のときのことも思い起こされてきます。
あの「最初」の爆弾テロのとき、その1週間あとにバリへ行くことにしていましたが、事件のためにキャンセルとなり、そのときいっしょに行く予定だった友人T.H.さんが、バリを見ぬまま今年の6月に病気で亡くなりました。
このところ、「アリ研」のメーリング・リストでも「予兆、破壊と再生」が、キーワードのひとつになっていました。
あのバリでなぜ?
バリを知る誰もが、まずそう感じることでしょう。
政治、経済、宗教上の「対立」にあのバリさえもが巻き込まれる、いまはそんな時代だと言われればそれまでですが、逆にいえば、「世界のへそ」バリは、世界的観光地としてずいぶん前から「孤島」ではもはやありえないだけでなく、これからの「グローバル社会」の行方をも占うひとつのトポスとして、嫌が応でも、注目を集める島になったということなのかもしれません。
バリをいたずらに、通俗的な楽園のイメージで特権化しようとは思いません。
しかし、20年以上前にはじめてバリに出会い、その自然と人間の関わり方、すなわち「文化」のあり方にいい意味でのショックを受けて以来、バリを愛し、その行方を見続けている身として、このような「世界的」に痛ましい事件を正しいよき方向へと転換するバリの力をひたすら願い、祈るしかありません。
バリのいたるところで見かける道端の小さな供物の写真を1枚添えて、ささやかな祈りにかえます。昨年6月、バリ島ウブドで撮ったものです。
bali450.jpg


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