越後妻有『大地の芸術祭』

 8月26,27日と、越後妻有アートトリエンナーレ『大地の芸術祭』を見てきました。

060901_01.jpg 060901_02.jpg
060901_03.jpg


 とにかく、たのしかった! ぼくは必ずしも「現地現物主義」に与するものではありませんが、こういうものはやはり、現地の環境のなかに身を置いて「体験」することに価値と意味があり、性急にワンフレーズで評価・総括して、終わらせてしまってはつまらない。しかも、「作品」ごとの評価や感想以上に、全体的・全身的に自分で感じることが第一です(正直いって、自己満足的であまり面白さの伝わらない作品もありますが、そんなことは、このさいあまり気にならない)。
 なんというか、やろうと企図しても、なかなか実現はできないだろうような総合的な試みが、ほとんど奇跡的にできてしまっていて、いろいろ運営上の苦労はあったでしょうが、見えないところまでを含めた共働のもとにさまざまなもの・ことの「一体感」を、”もうひとつ”の日本の土地/風景として出現させていることがすばらしいと思いました。
 そしておそらく、このような体験がひとりで美術館に行き名画を”静かに”鑑賞する行為と違うのは、何人かでいっしょに広い会場を走りまわり(じっさいはクルマで移動)、「お〜い、こっちこっち!」とか声を掛け合い身体を動かしながら体験を共有することのたのしさがあります。いっしょに行く人や、行くたびに異なる体験ができるような、そんな一回性と偶然の出会いがうれしい。あえて言えば、性急な「言葉」はこのさい余計なものかもしれません。時期がくるまで、卵のように心で抱いてあたためておくのが、たぶん一番いい。生まれてくるものは言葉ではないかもしれないし。
 とにかく、”普通”の風景さえ、ここでは感じ方が変わってきます。アートが自然に、自然がアートに見えてくる。芸術が現実を変容させるということの、幸福で自然な実例がここにあるような気がします。

060901_04.jpg060901_05.jpg
060901_06.jpg060901_07.jpg

 ぼくにとって、こどものころの夏休みに感じていた「夏」に帰ることができたような、あのころにワープして今につながったような、一瞬の夏/永遠の夏といえる、大地の芸術「祭」でした。
 30年ぶりくらいの訪問だった十日町が、ちょうど夏祭りの最中で、そのことにもちょっぴり不思議で、うれしい縁のようなものを感じてしまいました。
 『大地の芸術祭』は9月10日までやっています。
●『大地の芸術祭』オフィシャルサイト
http://www.echigo-tsumari.jp/
●cafe NOUS:渋海川の昔の姿を蘇らせる〜瀬替えの里のランドアートプロジェクト〜


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)