先日(17日)、小雨のなかを上野へ出て、『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』展を見てきました。
このところ就寝前に『日本美術の歴史[amazon]』(辻 惟雄、東京大学出版会)を数ページずつ、豊富な図版をじっくり眺めならが読むのが慣例になっていました。この本は全十章からなり、縄文から近・現代までの日本美術を一冊のなかで通覧した大胆かつ便利な力作ですが、ちょうど第九章の「江戸時代の美術」の後半あたりにさしかかったところで、次の日朝刊を開いたら『若冲と江戸絵画』展の広告が目に飛び込んできました。
日本美術に関して私はまったくの門外漢ですが、伊藤若冲(じゃくちゅう)には興味があり、以前から一度現物を見てみたいものだと思っていました。とくに、この本で「鳥獣花木図屏風」に惹き付けられていたばかりだったので(新聞広告でもこの絵を使っていました)、これは見逃せぬ、とばかりに、東京国立博物館の「平成館」へ出かけていったという次第。
会場はかなり混雑していて、いつもならそれだけで嫌気がさして、黒い塊となった人影の後ろから全体を一瞥しただけで帰ってしまうところ。しかし、この日は、できるだけガラスのケースに近寄って、辛抱づよく一点一点を見てまわりました。
人だかりの後ろから作品の構図を見るだけでなく、できる限りそばに寄って、そのテクスチュア(肌合い)や細部を見たくなる魅力がどの絵にも漲っていたのです。
若冲だけでなく、有名なところでは円山応挙、長沢芦雪、曽我簫白、菱川師宣、歌川国貞といった面々の「絵画」が一同に会した展示空間は、とりあえずは「面白い!」といっておくしかないような、まさにイマジナリーなひとつの世界を構成していました。どれも、いわゆるスーパーフラット(超平面的、「劇画」や村上隆を想わせなくもないよう)な絵ばかりなのですが、西洋画に慣れてしまっているわれわれ日本人の目にとっては、逆に再発見されるべき時空を超えた「もうひとつの日本」がそこにあるような…。
画題のほとんが動植物であるためか、美術館ではなく博物館でこのような企画展が催されることに、妙に得心したりして。もちろん人間を描いているものもありますが、幽霊画が混じっていたりで、さながら幻獣動物園の様相を呈しているようでもありました。
▲ 「鳥獣花木図屏風」(六曲一双)、右隻(図録より複写)
圧巻はやはり若冲でしたが、なかでも「鳥獣花木図屏風」は、本物を見ることで驚きは倍加しました。ほとんど現代のデジタル画像といってもよいような色面分割の大胆な試みのことは、上に挙げた本などで知ってはいましたが、1隻で4万3千個といわれるその一つ一つのマス目にまで濃淡や図案的な描き込みがほどこされていて、全体と部分、アナログとデジタルが融合したかのようなこの伊藤若冲という人の「頭と手」のつながり方は、いったいどうなっているんだと、いささかあきれながら感嘆するばかり。
▲ 「鳥獣花木図屏風」の拡大(部分)
「えっ、これって日本人が描いたの? しかも江戸時代に?」と、見ているそばにいた若いカップルがささやきあっていましたが、これは、だれもが感じる素直な第一印象でしょう。
ここで他の作品に触れている余裕はありませんが、総じて、江戸時代に生きていた画師たちの想像力と技術、その一種の「幸福な結婚」に、めくるめく思いのした一日でした。
▲ 「猛虎図」(絵ハガキより)
館内のショップで絵葉書などを買ったあと外へ出て、雨の日の噴水を眺め、ゆっくりと歩きはじめた私と妻は、急に疲れと空腹を覚えたため、駅近くの「聚楽」でちょっと遅めの昼食をとることにしました。
やはり混雑していてザワザワしている店内の、となりのテーブルにはほろ酔いかげんの7、8人の老人グループが陣取っていて、なぜかベートーベンがどうのこうのという話が耳にはいってきます。服装や話し方などから、けっしてハイソな人たちではなく、地元のどこかの「楽団」のOB会でもやっているんだろうかなどと想像をたのしみながら、うな丼(うな重ではない)をビールで流しこみ、なんだか上野っぽくていいな、いや江戸っぽいといってもいいのかも、などと思いつつ、日々谷線に乗るため、地下へと向かう道を歩いて行きました。
『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』展は、8月27日まで東京国立博物館で開催されています。
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