インタビュー/蓜島庸二「結繩文書集成」を読む(2)
聞き手/石井泉(エディション・ヌース)
【IT時代のリテラシー】
i 前回は、本というメディアからIT時代のメディアへの移行、いわばメディア革命のことに話がおよびました。そうしたなかで、何をやってもスキャンダラスなことの衝撃度が相対的に薄れてしまう現代という時代において、蓜島さんの作品が持つ衝撃性がなにからきているのか、というお話でした。
そこで今回はまず、メディア・リテラシーといったことについて考えてみたいのですが。
h 実は今回の展覧会の最中に「本をこんなにして焼いてしまって、なんと罰当たりな!」といった声を、間接的にですが、二人ばかりの人から聞きました。それをたとえばグーテンベルク時代以前からのモラル、と仮定すれば、なかなかそういうことは、面と向かって本人にはいわないもので、ですから今回も間接的に聞かされたわけですが、たとえば批評としても、そういう次元のことはあまり書かれることがありません。だからといってそういう意見がないというわけではないのだと思うのです。
今、メディア・リテラシーといわれましたが、IT時代のリテラシーの特徴の一つに「匿名性」というものがあって、これはかなり暴力的な面を持つ、ネガティヴなイメージで捉えられていますが、必ずしもそういう面ばかりではなく、名前を出してはいえないことでも、そこでなら何でも腹蔵なくいえる、というメリットもあります。つまり本音ですね。そういうなかで強度を持つことのできる表現……。「携帯小説」といったようなものも出て来たそうですが、そういった表現の可能性というものが、私の場合でも、もっと考えられていいのではないか、と思うのですが……。評論家や知識人による、いわゆる紙媒体のうえでのやり取りから作り上げられる価値基準とは別な何か、ですね。
i つまり、蓜島さんの作品がもっている(と私が感じている)「匿名性」「非人称性」あるいは「集合性」「共同主体性」といった問題、すなわち個人的なオリジナリティの消去といったこととも関連するお話ですね。表現の多様性と同時に表現者の「自由」、そして倫理観の問題でもあると思います。
【茶会仕掛けの”クローンド・ヴィーナス”でのユリイカ体験】
i さてここで、蓜島さんの炭書という作品群の発想の元になったという、青森の美術館での「ユリイカ」体験についてお聞きしたいのですが。
h それは一口に言うと自己で一杯に詰まったアートから、様々な他者を迎え入れる”隙間のあるアート”。自己で一杯にふくれあがった陽圧の作品ではなく、外側の他者の力で、むしろ膨らまされている、いわば”陰圧のアート”ともいうべき発想です。それは”クローンド・ヴィーナス”にとって、何も事新しくいうほどのこともないのですが、確かな手応えを得た、といったようなものですね。
今から3年前の2005年の春、国際芸術センター青森という美術館で、アート・イン・レジデンスという、作家滞在型の美術展に招聘され、そこで3ヶ月間滞在しながら制作したときのことです。その時一緒に呼ばれたのはオランダ、フランス、ハンガリーから各一名、日本からは私ともう一人の計5名で、その時の展覧会全体のテーマは『手と目と耳の先へ』というものでしたが、私はそこにもう一つ、『舌の先へ』を加えて、ここ10年来続けて来た、まったく自己流の抹茶の習慣を、この際、展覧会というパブリックな場に持ち出して作品化し、”茶会”という視点から、私なりに新たな”クローンド・ヴィーナス”を捉え返す、一つの”装置”としてみては、と考えたのでした。名付けて『茶会仕掛けの”クローンド・ヴィーナス”』。いわば茶会という仕掛け(論理型)を持った展覧会という訳です。
茶会というのは私の考えでは、基本的に様々な美術的他者を包含する、私流にいえば隙間をたくさん持つ空間であり時間でもあるわけです。
実は私は、青森のこのギャラリーでお茶のイベントをするに当たって、少なからぬ不安を持っていました。それはここは美術館として当然ながら作品を”見る”ということを主眼とした空間であるせいか、音の環境がイマイチで、室内に声が反響して相手の話が聞き取りにくいのです。茶会の楽しみは、もちろんお茶そのものの味も大切ですが、何よりも出席された人々との間で、当日の趣向や並んでいる作品の感想、この地にまつわる様々な事柄に迄及ぶ”会話”を大事な要素として望む私としては、肝心なその話が聞き取りにくくては……と、そういう危惧を抱きながら始めた茶会でした。
しかし茶会が始まって、ふと気が付くと、相手の話もなんとか聞き取れるし、こちらの言うことも……。つまりなんとか会話が成立しているのです。なぜだろうかと不思議でした。点前をしながらいろいろと考えたのですが、つまり茶室であるギャラリーの壁面は、私の作品と、小学校の生徒たちとの”クローンド・ヴィーナス”のワークショップで制作した、やはり破壊と再生の、分厚く張り重ねた段ボール絵画がびっしりと埋めています。なかには立体作品もあります。この不思議は多分そのせいなのではないか。子供たちの作品が過剰な音の反響を吸い取ってくれた効果なのではないのかと思うのです。もしふつうの展覧会のように私の薄っぺらな作品だけを並べていたのでは、おそらくこういう効果は得られなかっただろうと、思わず胸を突かれる思いがしたのです。自己をしゃにむに押し出してゆくアートではなく、人間が作り上げてきた様々な過剰を吸い取ってくれるアート、というまさに私にとっての「ユリイカ!」だったのです。
そこから、書物を炭に焼く『炭書』という発想がほとんど瞬間的に生まれ、その時使っていた炭を焼いてくれた、津軽深浦町の炭工房「勘」の岩谷義弘さんと出会えたことで非常に早く実現しました。茶会は会期中10回ほど行いましたが、すぐ次の週の茶会の床飾りとして、その『グーテンベルク炭書』は出品されたのです。
【宗教や権力の始原への憧れ】
i 今度の結縄文書シリーズですが、残闕(ざんけつ)という標題が付けられていますが、これは「切れ端」という意味でしょうから、やはり近代の完成された「作品」という概念からするとちょっと逸脱しているというか……。
h なるほど確かに違和感がありますね。”クローンド・ヴィーナス”、つまりクローンされたビーナス、という私の絵画の方法は、いちど完成した自分の作品を切り刻んで、その一片を絵画的な細胞に見立てて、新しいキャンバスや用紙の上に置き、その切れ端に込められた様々な絵画の遺伝子的情報を、恰もクローンさせるように描き継いでいく、というものです。これは別の言葉でいえば、いちど”破壊”された絵画的生命を新しく”再生”させる、とも言えます。
ですから私はそれを「破壊と再生」と読み替えて基本的なキーワードにして、20年あまり継続して来た”クローンド・ヴィーナス”の生まれ変わりを図ってきました。つまり基本的に「切れ端」なんです。切れ端なんですが、それを再生して新しい別の作品を作るわけですから、やはり常にもう一つの全体を求めて来たことになります。それを暫く前から、切れ端のまま愛そう、という気持ちになってきたのです。
今回、モチーフとした古代インカの遺跡から出た結縄文というものも、その他多くの文物が破れたり壊れたりした不完全な形で発見されて、そのままの形で、世の中に投げ出されます。茶道などでも、歌切れとか縁が欠けた焼き物とか、そうしたものをそのまま愛そうという思想があります。完全なものでないからきっと美しいのでしょうね。
何かの一部分をそのまま愛する、という思想。自分が全てではなく、何かの一部分としての自分。何か全体的なものとの関係での自分。それはつねに何か大きなものを予想させるものとしての残闕、という気持ちです。
そういう考えの基には、ここ数年来に嵩じて来た私の、古代への憧れの気持ちがあります。特に宗教や権力の始原ですが、04年に、美術史の始めに出てくる旧石器時代の呪物「ヴィレンドルフのヴィーナス」を一目見ようと、はるばるウイーンまで出かけてきました。前ギリシャ時代の女権社会のディオニソス的宗教の呪物ということですが、今の私には大いに心を揺さぶるファクターです。そういうなかから、自分を呼び起こす何かを作る可能性を感じるのです。それがIT時代の表現のリテラシーとどう関わるのかはわかりませんが……。
i やはりこれらの作品には、過去と未来が錯時(アナクロニー)的に交差しているのですね。ひとつの予言の書、いや蓜島さんが「予兆」の書とかたられていることのビミョーな意味が、結縄文書の一”読者”として、ほのかにですが、読めてきたようにも思います。ありがとうございました。(おわり)
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