「首ゟ上の薬」★1とはこれはなんとアバウトな、クスリというにはあまりにも非科学的な、と言われそうなユーモラスな薬です。一瞬「馬鹿に効く」何とか・・・? かと思ったくらいで、ではいったい何の薬なのか。
漢方薬の名前といえば、たとえば「反魂丹」とか「陀羅尼助」「仁丹」「清流丹」などなど、何に効くのか解らぬながらも、常にどこか神秘的なニュアンスのものが主流を占めるのに、こんな看板に出会ったのは初めて。場所は信州の千曲市で、今から20年程前のことでした。
そんな看板なのに、御覧のように造りはなかなか立派なもので、2m近くあろうか黒漆の板面に金で縁取りされた籠文字で「首ゟ上の薬」と、ゆったりとした行書体の、運筆が何とも心地よく、そのまま書くと6文字になるところを「ゟ」という2字を一文字に縮めた合字「ゟ」を使って5文字にすることで「首・上・薬」の文字を際立たせて、特に画数の単純な「上」を中心に据えることで、文字面の安定感を、ひいてはこの薬に対する信頼感に繋げる、といった機知さえ伺える・・・、と云ったら穿ち過ぎだろうか。これは20年程まえに長野県千曲市で出会った看板ですが、右側には「発売元 東京 竹村合名会社」左には「大販売處 志村賣薬部」となっていて、これは東京で発売された薬だということがわかります。ついでながらこの「ゟ」ですが、これは江戸時代の版本などにもよく用いられたもので、「より=ゟ」とか「こと(コト=ヿ)」「ます=〼」など常時使われる文字を一字に纏めて簡略化して書く合字書体で、活字になっても作られました。
随分たくさんの看板を取材しましたが、後にも先にもこんな風変わりな名前の薬には再び出会うことがないままに、いつしか私の記憶の中から抜け落ちてしまっていたのです。
ところがこの6月、東京近郊の埼玉県志木市に伝わる築137年の、今は市の文化財として保存されている旧村山快哉堂という薬屋を取材(2014.6.22)した際の陳列物のなかに、なんともう一つの「首ゟ上の・・・」を発見したのです。それは看板ではなく薬の小さな包装箱に貼られたラベル★2ですが、つまり20年の歳月を隔てて長野県と埼玉県というぜんぜん別の場所で、こうして出会ったことに大いに感激しました。
「首ゟ上の薬」と、こちらの方は右から左へという横書きで「ゟ」は合字にせずに「よ」を出来るだけ「与」に近づけた変体仮名にして、全体に筆の掠れなどを強調しながら、精一杯威厳を持たせるかのようで、微笑ましくさえあります。しかも一方で、どんどん近代化される世相にも合わせて横文字なんか配したりかなりモダンな雰囲気です。が、只モダンであるだけではなくて周囲を子持ち罫の直線で囲って、その内側に上りの竜を向き合わせた文様の生動感を感じさせる曲線で飾っています。これは雌雄の対き合わせかと見たのですが明らかに描き分けられてはいないようです。ただし、下部の社名の終わりの巴の紋章に「謹製」の文字をあしらったマークがあって、この巴は世界の根源を支配する陰陽/雌雄の限りない生成といった道教的な世界観を表すもので、新しいモダンな時代になっても、そうした古典的な超自然のイメージの力をこの薬に重ねあわせて、その薬効のほどを強調しているのでしょう。
薬の名前に対して社名の方は反対に左から右書きにしたり、能書きをローマ字で重ねてモダンなダブルイメージにしたり、文明開化のこの時代の人々の心を捉えるための、複雑な心配りのほどが偲ばれます。この本舗は滋賀県蒲生郡の福地製薬となっています。
ところで千曲市の看板では分明でなかった肝心の薬効ですが、なんと、便秘による「逆上せ」「肩の凝り」を和らげ快便をうながす・・・となっていて、これには二度びっくりです。つまり首ゟ上の症状の原因を、一見遠そうに見える便秘に求めるという、いかにも漢方薬らしい発想が伺えます。もっともこの手の薬には、同じ名前でも処方の違うものがあったりするので、にわかには断じ難いのですが・・・。
面白い薬といえば同じ村山快哉堂で出会った「ふり出し機那〻〻湯」★3。立派な金看板で、上部の効能書きには「四季の引風、熱冷ましの良劑」とあって風邪薬。それも煎じ薬ではなくティーバッグ式になった薬剤を茶碗の湯に浸して、振り出しながら呑む薬、ということでしょう。それにしても「きなきな湯」とは謎です。この薬の本舗は江州日野製劑株式会社、今の滋賀県蒲生郡日野町。名だたる江州商人の地から全国に送り出されたものでしょう。村山快哉堂はその代理店。
★4 こころよく通じ丸
じつはもう一つ、先日(2014.6.3)富山市で漢方薬の取材中に富山売薬資料館で出会った「古ゝ路よく通じ丸」★4という看板ですが、これもあまりにも平易な、あっけらかんとした名前の薬です。今風によめば「こ﹅ろよく通じ丸」で、「路」を漢字の草体に、「こ」は漢字に近い変体仮名で、しかも「こ、よく、じ」が白く彩色されていて、そうした仮名文字の中に「路・通」という二文字だけを漢字で、しかも金彩で浮き出させています。あたかも、鬱々とした胎内の路が、こころよくさっぱりと通じる有り難い「通じ薬」という連想へと導く仕掛けなのか・・・。
これはただいま富山売薬資料館に撮影の許可願いを申請中なので、美しい写真をお見せ出来ないのが残念ですが、許可が下りしだい撮影をしてこの欄で改めてご覧いただきますので、どうかお楽しみに。(おわり)
コメント
“首より上の薬” への2件のフィードバック
地元の志木の古い街並みにある町家は知っていましたが、薬種屋には気づきませんでした。改めて散歩に行ってみます。
お会いした際に質問した答えが書かれていて
とても興味深く読ませていただきました。
「フクチ首より上の薬」は検索したところ
現在も福地製薬から販売されていました。
来歴のようなものは書いてありませんでしたが、
現代でもほぼ同じパッケージで販売していたのは
ちょっとおどろきました。
この他、大昭製薬と日野薬品工業でも
同名で同効能の商品が販売されていました。
いずれも滋賀県の会社でした。
機那についても興味があったので調べてみましたが、
こちらは判然としませんでした。
明治から昭和初期頃はインドネシア等に植樹された
キナという木の樹皮から取れるキニーネが
マラリア等の熱病対策に用いられたそうですが・・・?
あと機那サフラン酒という薬用酒もあったそうですが
関係あるのかないのかわかりませんでした。
それでは、またお話を聞けるのを楽しみにしています。