書道、文字、というものが伝統的に背負って来た、アニミスチック的なセンス、から発する身体感覚はすでに、日々遠くなっていくみたいです。
さすがに少し春めいた街、こんな楽しい看板を見つけました。
この「波」という文字、まるで北斎の「神奈川沖浪裏」みたいな大波の絵が組み込まれて、うねっています。その勢いが、さんずいの一部と、旁りの下部にある又の払いへと掠れながら、一気にわたっていて、扁と旁りを強引に合体させて、どうだ!とばかり、大見得をきっています。
文字の全体からみると、かなりの違和感がありますが、その違和感は、草書などで扁から旁りへ自然に繋げるのとは違って、旁りへとダイレクトに、ということは、波の絵が文字化という手続きを経ぬままに、「絵」のママで、まさにダイレクトに繋げていることから生まれています。そのために私たちが文字を書くに当たって伝統的に体感してきた時間の流れを、少なからずかく乱してやまぬ書き手の腕力のようなものを感じるからです。しかもこの腕力は、書道などが持つ、どこかアニミスチックな身体感覚と違って、様式化、図案化されたものです。実はそれが大きな魅力となって、全体的に人々に強く訴えかけているし、書道からも文字からも、絵からも、ちょっと “ずらした” ハイブリッドな、見事な文字となっているのではないでしょうか。
おまけにこの看板、かなり分厚い皮付きのケヤキ一枚板で、その板目引きにした見事な木目の “波” が、この表現を支えているのも魅せどころーーそして瓦の “波” と・・・。更に「丸に左立浪」の紋章は、ここにざわめく波のすべてを背負って、その象徴性を際立たせています。
「丸に左立浪」と書きましたが、波から丸へ筆勢が続いて、それが下に収まっているように見えるので、もしかすると、丸ではなく “巴” のつもりかもしれません。とすると「巴立浪」? いずれにしてもこれらすべてがこの店の風格を演出する、まさにニューウェーブ感覚を売りにした心憎い表現となっています。
たしかに昨今の「町まちの文字」は、大きく様変わりをしているようです。(東京/神楽坂にて)
コメント
“「今風」文字の楽しみ ─ 1─ [春波]” への2件のフィードバック
ご無沙汰しています。
この文字、いやグラフィックデザインですよね。筆で書いた文字ではなく、コンピュータで作った図案。
筆ならば、動きの結果として表れた流動感、躍動感を、図案として無理やり押し出した気がしますね。
文字というものが、まさに「ハンコ」化してきている証のように感じます。
つい先日、所用があって画材店を覗いてみました。コンピュータ化される以前の、デザイン用品がかなり少なくなっていましたね。
昔は、エアスプレーの達人、とかいたものでしたが、どうなってしまったでしょう。
ご感想を頂き、感謝しております。たしかにフォントも、こうした看板や商店などのポップデザインなど市場のニーズに従って、ますます多様化してきました。それらはみなおっしゃるように「ハンコ」化の成果?で、ますますわれわれの生活から、文字の身体感覚を失わせていきます。
まったく画材店のエア・スプレーなどのピースとかコンプレッサーなども姿を消しつつありますネ。みんなパソコンの描画ソフトに取り込まれて、そんなに達人技でなくてもきれいなものが描けちゃうのですから、昔の達人は、自分の苦心は一体なんだったんだろう、と嘆くのも無理ありません。
また、ぜひご意見をお聞かせください。ありがとうございました。
蓜島庸二