わたくし的AIRな80日間5

茶会じかけの”クローンド・ヴィーナス”キーワードは『予兆そして破壊と再生』

「予兆そして破壊と再生」と名付けた『割れ茶会』のパフォーマンス(1)

 そしてもう一つの”食”のイベントはもちろん、仮設的な茶室を構想するという今回の私の展覧会最大の柱で、会期中10回に亘って行われた「予兆そして破壊と再生」と名付けた茶会『割れ茶会』のパフォーマンスと、それに付随する『庸二の楊子』12,000年プロジェクト、と題する楊子削りのパフォーマンスです。

― お茶を飲む私なりの事情 ―

 実はおよそ10年あまり前のこと、癌の手術をしてその後で、栄養指導の先生から、抹茶がフリーラジカルとよぶ壊れた細胞を安定させる、つまり再発防止に効果的な一種のサプリメントみたいなものだから、と勧められたのが始まりで、以後毎日、抹茶を点てて飲むようになったのです。つまりこの茶会も常に病気との戦いの自分史から生み出されたもの、そのことの延長線上にあるものなので、決して芸術的な感心から生まれたものではないのです。

 しかし茶会などといっても、この道に特有の型も思想のヒラヒラもない、そのような私の茶のことですから、まるでインスタントコーヒーをいれるみたいに、茶碗に粉末を適量入れてサワサワとやるだけのものです。そういうわけで、せいぜいこの美術館を訪て下さった”美のお遍路さん”である観客の皆さんに、一時喉を潤してもらう、いわばお茶の”お接待”とでもいったものにしたいと思ったのです。そしてそのお遍路さんたちから、私にとって遠い北国であるこの青森の地にまつわる、さまざまな世間話に興ずる楽しい一時が造り出せたら、というものです。

― ACACは青森市の床の間 ―
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 そこで茶会という”仕掛け”を作るにあたって私は、与えられたギャラリーBの約90m2の床面にまず、利休が秀吉のために建てたという有名な二畳間の茶室「妙喜庵待庵」の平面図を、青いメンディングテープで図取りをし、それに重ねるようにもう一つ、さらに古典的な四畳半の茶室の図取りを重ねました。このことは、美術館といういわば青森市の床の間にあたる美術空間の、その中へ古典の茶室二つを入れ子状に入れ込んで、いっとき、茶室を”仮設”する、という気持ちです。”仮設”する、といっても何らかの建物を建てるわけではありません。この平面図を拠り所にしてここに集まった人々それぞれの想念の中に、幻の茶室を建設してその想念の中で一椀の茶を飲んでもらう、というものです。

 そして「待庵」のほうの床の間にはさらに入れ子状に、現代のデジタル映像を飾ることにしてビデオのモニターを入れ込んでみました。この映像はかつて私のアトリエを取材した東京12チャンネルの「新・美に生きる/”クローンド・ヴィーナス”」(85年)という映像で、私の絵画の方法がかなり良く捉えられているものです。

 もう一つの四畳半の茶室の床の間部分には、その時々の美術作品を飾る場として、まず友人の青森の生け花作家菊池仙陽作になるリンゴの枝を炭に焼いたオブジェの花『非線形に』を天井から下げてもらったり、またある時には、フランスから参加したセビリーヌの小品『都市のブリコラージュ』を、というように時々に幾重にも入れ子状態を仕掛けていったのです。

― 茶会を流れる時間 ―

 このような入れ子状態が引き起こす幾つかの他者的なぶつかり合い=床飾りと称して他者の作品を呼び込んだり、私の作品を多数の小学生たちの作品と組み合わせて同じ壁面に並べたり、お茶を飲みながら絵画の鑑賞をする、という幾分のずれを持ったいわば他者的コミュニケーションというものは、伝統的な茶室/茶会というものが元々持っていたものです。茶会の間中、留まることなく人々の上を流れてゆく時間は、その人が茶会に参加する以前から、茶会を経て、またそれぞれの日常へ戻ってゆく、切断されながら流れてやまない、時間の上にあるものですし、それが先述のように、人々の脳内風景に建設した幻の茶室、という一つの”場”の中で空想的に進行するわけです。決して二畳間と言う空間的な場に限られるものではないのです。

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 そして秀吉と利休、あの巨大な人物が、権力を賭けて対き合った「待庵」のわずか二畳の空間(それを狭いというか広いと言うかは別として)を目にしながら、人々は茶というものの凄まじい一面を朧げにでも感じたものです。それはまた茶会を仕掛けた私という個人だけのものではなく、参加している多くの人々との共時的な、それぞれの時間を綯い合わせることによって生まれる一つの楽しみの時空でもあります。

 時間も流れ、ともに空間もそのように移り変わるという体験は、今回の茶会のいわば”余白”にあたるもので、先ほど述べた”クローンド・ヴィーナス”の”余白”の再生が宿す、極微・極大の宇宙的感覚の流れと重なります。

― 無形の何かを捕獲する装置 ―

 この茶の”お接待”にしても、先のパン焼きのイベントにしても”贈与”とか”ポトラッチ”といった文化人類学的な視点から考えられなくもないのかもしれませんが、そうした共同体的な相互的なモノのやりとりとか、そこに自ずから生ずる落差が何かを動かす、という気持ちはなく、かといってお遍路さんに対するような宗教的な何かがあるわけでもありません。相手の喜びや楽しい話題の共有、といった”余慶”はあるにせよ、それはあくまでも無形のもの。つまり余慶なのですが実はそれが大事なので、私達のパンや茶は、その無形の何かを捕獲する装置、とでもいったニュアンスのものなのではないか、と、このパフォーマンスやイベントを通じた会話の中から気付かされるのです。

 私の『予兆そして破壊と再生』の茶室、茶会は、そのように限りなく他者へ向かっての開かれた装置であったのですが、その上にこの茶室のもう一つの特徴は、ギャラリーの西側の面が嵌め殺しの大きいガラス窓になっているということです。これは別名”かこい”というような大方の茶室にはないことで、これによってその向こうに広がる安藤忠雄設計の造形的な水の景観が、背景の自然風景とともに、客たちの茶の楽しみとして加わることにもなったのでした。

― なぜ割れ茶か/割れて走る線への憧れ ―
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 一方、やはりここ10年来、私は”金継ぎ”ということをしてきました。これはある時とても大事にしていた茶わんをうっかり割ってしまって、あまりの口惜しさに自分の手でそれを修復することを思い立ち、殆ど泥縄式に”金継ぎ”と呼ぶ漆で継ぐ伝統技術を習いました。そうして出来上がった茶わんを見て、当然のことですが、容器としては一応元の姿に戻ったのですが、その激しい様変わりに、そしてその変わり方の見事さに大きな衝撃を受けたのです。割れた弾みで器面に偶然に出来たひび割れの線の走りの美しさや、それが消金で蒔かれて更に底の方から何ものかを訴えかけてくるような、そんな神秘的な雰囲気さえただよわせている様に、一人の画家としてすっかり虜になってしまったのです。自分もそんな素晴らしい線を引いてみたい! という憧れとなって・・・。


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