わたくし的AIRな80日間10

茶会じかけの”クローンド・ヴィーナス”キーワードは『予兆そして破壊と再生』

お遍路さんに対する「お接待」とAIR’ Sボランテアについて

― AIR’ Sと「空間実験室」いう二つのボランティア団体 ―

 またこのACACには私たちのようなAIRを専門にサポートするため、AIR’Sというボランティアの団体と、これとは別に「空間実験室」という主に青森市に住む若者たちが集まる、幅広いアートに対するユニークな支援活動があります。こちらはACACばかりでなく広くアート全般をサポートするもので、どちらも開館当初から関わってきたそうです。AIR’Sのほうは常時70名ほどの会員がACACに登録されており、世界各国からここに集まる作家たちの制作や作家の必要に応じて地域のリサーチなど、美術館の担当学芸員とともに、さまざまな分野で、何くれとなく実に親切に手助けをしてくれます。

 両団体とも、例えば素材探しのために街のリサイクルショップを探し出して、マイカーを使って案内してくれるとか、場合によっては食事の炊き出し迄してくれたりします。また語学の得意なサポーターは通訳をしてくれたり、前述の文化施設などを案内してくれたりします。

 そうしながら、おそらくただ鑑賞するために美術館を訪れたのでは到底得られないような美術体験をすることが出来るわけで、その作家とともに一つの作品を創りだすことによって得られる創作の手触り体験は、新しい自己との巡り会いをセットし、新たなる自己確認の悦びというふだん得ようとしてもなかなか得難いものかもしれません。そのようにサポーターたちは自分の好みの方向、またスケジュールに応じて手伝いに来てくれるので、これは大いに助かりました。作家たちは自分のその日のスケジュールと、手伝ってほしい仕事の内容を、あらかじめ担当学芸員に申し出ておくと、それに適当するサポーターにメールや電話で呼びかけてくれる仕組みになっています。

 私はもう一つ、妻、敦子とともにするパン焼きのパフォーマンスの企画がありました。このためにどうしてもパンの発酵機と捏ねるためのニーダー必要で、これはサポーターの一人である斎藤さんに貸していただいたり、その他多くの点での助力を得ることになりました。

 その上に私たちが勢揃いした最初の、確か5月の18日の夕方には全員が市内の酒場に集まって、顔合わせの意味もかねたウエルカムパーティを開いてくれました。どのようなニーズがあるかを訊ねてくれたり、会期の中間では何か困っていることはないか、とか私たちを元気付ける会を持ってくれたり、最後には市内のホテルのレストランでフェアウエルパーティまで開いてねぎらってくれるなど、実に念の入った気の配りようでした。

― 茶会にはサポーター以外の人も巻き込んで ―
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 今回の私が企画した茶会こそ私一人では到底出来ないものです。一度に何人かの客に手際よくお茶を飲んでもらう為に、どうしても陰で抹茶を篩に掛けたりする水屋仕事を担当してくれる何人かの手が必要です。今回は日沼学芸員のお茶の師匠である三上宗徳先生とそのお弟子さん方に私の方がいろいろと教わりながら、水屋仕事を指揮していただきました。その上に私が点てたお茶を客の前に運ぶいわばウエイトレスのような仕事があって、これは日沼学芸員の手を煩わせました。

 お茶会そのものもそうですが、先述したように、今回私が茶会に使うテーブルを作るにあたって、破壊された「継ぎ手仕口」という日本建築の伝統工法を再生させようということから、これは空間実験室を主宰する日沼智之氏に相談して幾つかの廃材置き場を紹介してもらいました。その他に今回の展覧会には完成を見ませんでしたが、幾つかの古材による作品を宿題としてアトリエに持ち帰ることになりました。紙子の座布団も青森市に住む3人の生け花の先生に手伝ってもらいました。

― 展示にまつわるいろいろ ―

 子供達に対する”クローンド・ヴィーナス”のワークショップにしても、ワークショップそのものも、人々のサポートを必要とするものですが、出来上がったものをギャラリーの壁面に飾る迄の間にも、かなりの人手を要します。子供達の作品は、まずせっかく張り合わせた画面をしっかりと固定するために、別の紙で裏打ちをしなければなりません。特に厚く重さのある段ボールの作品では、なおさらです。それらを主にサポートしてくれたのはサポーターの一人である葛西望美さんで、その他にも二三の方々の手を煩わせることによって、成し遂げられたものです。

― 作品とは誰のものか?/或は私のアンチ・コピーライト ―
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 そうして作り上げた作品乃至は展覧会は良きにつけ悪しきにつけ、到底これを私一人のものに帰することは出来ないものです。一方でいま”知的所有権”ということがやかましく言われておりますが、考えてみると元々私の絵画自体も実は、さまざまに先行するアートの私なりの遺伝子組み換え的な作業によって作られたもので、決して自分一人がゼロから創り上げたというものではないのです。卑近な例をあげれば、私の絵画の根幹をなす切ったり貼ったりという方法も、実はそれに先行するシュールレアリズム以後のさまざまな作家の、私はそれと意識してしたわけではありませんが、積み重ねがあってのことです。

 もちろんそればかりではありませんが、つまりあらゆる手法が出尽くしてしまった、と言われる現代美術にあっては、どのようなものも、どこかでそれに先行する仕事を見ないわけにはいきません。ですから、かなり以前からアートに於ける知的所有権とか著作権というような制度に疑問を持ってきました。

 また私には「町まちの文字」と「祈りの文字」という2冊の写真集の著書があります。ですから一応、著作権者の列に名前は登録されてはおりますが、それも、町や神社で見られる文字を写真に撮って歩いただけ、といったものですから、よけいに自分の創作物という感覚から遠いものです。つまりすべてがコピーライト・フリーとかアンチといった気分のものです。


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