「和仁栄幸の酒器」展

「和仁栄幸の酒器」展のご案内

[展示期間]2008年6月27日〜7月1日
[営業時間]11時〜19時/水曜日定休
[場所]しぶや黒田陶苑
    東京都渋谷区渋谷1−16−14
    メトロプラザ1F
[電話]03−3499−3235
[URL]http://www.kurodatoen.co.jp/

 私の友人で備前焼の作家、和仁栄幸さんが、このたび東京で酒器の展覧会を開くそうで、案内状とともにそのカタログを送ってもらいましたが、これがなかなか良いのです。

 和仁さんの窯は備前とか伊部からはちょっと離れて、岡山県の津山市郊外にありますが、かの金重陶陽の最後の愛弟子で、その筆法を正直に受け継いで、その作風が多くの人々に愛されています。1999年に田部美術館の「茶の湯の造形展」で大賞を受賞されていますが、このカタログをみると、私はどうも、その精華は、酒をこよなく愛してやまぬ彼の、酒器に、この度は集中しているように思えてなりません。

 今から10年ほど前、日本女性新聞の社長で作家の西川治嘉さんと二人で和仁さんの窯を訪ねたおりですが、和仁さんのお預け徳利ですっかり御馳走になっているうちに、その中の一つにすっかり魅せられてしまった西川さんは、その徳利が手放せなくなって、ついには拝み倒して譲り受けてしまった、という経緯が未だに思い出されます。そんなふうに酒呑みには、そしてつねに手許不如意な当方には特に、いささか危険な魅力をさえ湛えているというわけです。西川さんのその徳利は、ちょうど掌中にすっぽり納まるほどの、やや球体をして、少し青みを帯びたモノでした。その後も、西川さんと会うと、必ずと云っていいほど、自分がいかにその徳利を愛しているか、「おまけに、ちょっとしたほつれを金で繕った、それがまた、たまらないんだ!」などと、若く美しい奥さんを向こうにおいての酒談義で、私を羨ましがらせるのです。

 ところで人は、そして男はどのようにして酒を呑むのだろうか。酒を呑むのに、どのようにも何も有りはしなくて、有り合わせの茶碗で、いわゆる茶碗酒というのも、もちろんアリだろうし、菰樽から注いで木の香ごと呑む升酒、仕事の帰りなどに酒屋の店頭で”もっきり”のコップ酒というのも、なかなかこたえられません。cafe NOUSのサイトに書かせてもらっている「町まちの文字を訪ねて」で、神楽坂で見つけた新内の太夫さんの家の表札のことを書きましたが、「初雪に降り込められて 向島・・・」などと俗謡に唄われる、ワケアリの粋な酒ももちろん悪かろう筈がありません。荷風の愛した墨東はいわゆる川向こう、その頃は温暖化の騒がれる今とは違って、大川を吹き渡る川風の冷たさも手伝って、置き炬燵を挟んでの差しつ差されつは、またひとしおの興趣。俗に髱(たぼ)もよし、時には猫いらずもまたよし、なのであります。こんな時の器は、はたしてどのようなモノが似合うのか、などと何とも俗な想像の行方にキリがありませんが、我ながら呆れるかぎりです。しかし下にご覧のような和仁さんの今回の酒器には、そんな俗の影はありません。それに1944年という生まれ年ですから、すでに60歳の半ば。あの呑みようからすると、いよいよ酒仙の境に達したかのような作行きではありませんか。

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手捏ひだすき徳利(15)高さ14.3cm
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手捏徳利(14)高さ12.8cm

 カタログの中からまずご紹介するのは、互いに対照的な上の二点の徳利です。一口で云えば左が草書なら右は楷書体といった備前のお預け徳利。両方とも轆轤を使わずに手で成形されたようですが、ずいぶん表情が違います。

 左は肩の力を抜いて何の衒いもなくすっくりと佇つ水墨画、付け立てで描く人物画のような、まさに「心身脱落」の態。写真ではよく判りませんが、口縁を少し歪ませて、もしかして三角形にひしゃげて、おのずから注ぎ口をなしているのかもしれません。胴の円筒から生まれるこの三角形の首が、器全体に一方ならぬ造形的な剛さをもたらせていると思います。また火襷ということですが、ここには”為にする”といったわざとらしさがなく、窯詰めの必然から緩衝材として施された藁によって、これは和仁さんが、というより窯が巧まずして描き出した、という自然さがまったく好ましいところです。

 次の右側の徳利は正に楷書体で、左が立ち姿ならこれは姿勢を正して正座した典型的な備前のお預け徳利です。豊かですが徒に大らかさを装ったぶよぶよとした贅肉は微塵もなく、代わりに和仁さんの手に長年にわたって染み込んだ器のデッサン(これはただ表層的な形を超えて、和仁さんのこれまでの60余年の、一陶工としての土や火との付き合いから得た自然観、生命観といったものが、ほとんど血肉化された)が、とつとつと象を成した、という潔さが、器形全体からにじみ出ていています。肩の一部に降り掛かった灰のありありとした焦げ痕が衝撃的ですが、それに呼応するように、降り残した灰がつくりなす、基底から一気に迫り上がるの褐色の文様が、景色の洒落のめした見立てを超えて、窯内で起こった事件の証として、また同時に、この器の膨らみの豊かさを造形的に強調しています。玉縁? らしい口作りにも灰の焦げ痕が巻いていて、下部のダイナミックな文様をしっかりと抑えています。まことに見事というほかありません。

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手捏ひさご徳利(10)高さ13.3cm

 ここまで書いて来てふと私は、「水墨画の人物のような」とか、「正座する」などと、どうも人間の姿に見立てて書いてきたことに気付くのです。よく考えてみるにそれは、気のあった友人たちと呑む談論風発の酒も楽しいのですが、それよりも、いつまでたっても纏まらぬ思考のナマズを追って、右往左往しながら呑む、どちらかというと独酌の酒を好んできた、私の長年に亘るその呑み癖にあるようです。特に冬の居間で、囲炉裏の灰に半ば埋めるように温めながらの、そういう時の話し相手には、やはりこの備前のお預け徳利なのです。そんな私の錯覚のナマズを追いかけるのにお誂え向きの逸品は、何といってもカタログ 10番の「手捏ひさご徳利」でしょう。ひょうたんというにはあまりにも僅かな胴なかの縊れですが、そのたたずまいに、かすかな禅味をさえ覚えるのです。

 いろいろ愚にもつかぬ事を書きましたが、これは6月27日、つまり今日から7月1日までと、会期がえらく短い展覧会なので、しかしぜひとも開催中にアップしたいと、やむなくカタログの写真を見ての感想になりましたが、今日はこれからギャラリーを訪ねて、ぜひとも実作を確かめて、そして何よりも久しぶりで和仁さんに会う歓びを果たしたいと思います。(おわり)

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手捏窯変酒呑(20)高さ6.2cm
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手捏ひだすき酒呑(32)高さ6.1cm

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コメント

“「和仁栄幸の酒器」展” への1件のコメント

  1. 伊藤のアバター
    伊藤

    ずいぶん開催期間が短いですね。拝見するチャンスがなく残念でした。
    近く倉敷を訪れ、外村吉之介の倉敷民藝館を見てまいります。
    また、酒津で備前焼、酒津焼という縛りのない、自由闊達な民藝を志す作陶家を訪ねてきます。