伝統の余慶

 第三回の「亀甲館だより」は号外として、観世流の雑誌「能スケジュール」2月号に書いたものを、そのままではわかりにくいところがありますので、加筆してお送りします。

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 お能もそうですが、舞楽となると私などまさにお手上げで、以前、山形県河北町にある谷地八幡宮の秋の例大祭に招かれて、林家による舞楽奉納を拝観させてもらったのですが、確かにその時、王朝風な炎の楽器や煌びやかな衣装、大陸的な大らかな舞の身振りに魅せられはしたのです。が、では目の前でいったい何が起こっているのか、となると到底理解が及ぶものではなく、折からの一陣の風に降りかかる紅葉。そう、辛うじて、あの源氏物語の「紅葉賀」の情景もかくや、と月並みな思いを回らせるぐらいなのでした。

― 笙と前衛舞踏の出会い ―

 斯くその道に暗い私ですが、03年 11月のこと、『クローンド・ヴィーナスの20年』と題した私の絵の展覧会を、南房総の海辺の村に建つ私のアトリエ兼展示スペースで開くことになって、そのオープニングに友人の画家杉山雅一が、なんと笙の演奏で祝ってくれるというのです。彼が笙を吹くという事は知っていたが、実際に聴いたことはなくて、そこへ前衛舞踏の成瀬信彦と奈良幸琥という二人が加わって、伝統音楽の笙と先鋭的な前衛舞踏、という刺激的な組み合わせが出来る事となったのです。その日の舞台は、三方を山に囲まれた小さな谷地に建つ、アトリエの半円形の前庭。小春の日差しに映える山里の黄葉。鳥の声。そして流れる笙の音は「越天楽」ということでしたが、それはこの山あいにそよぐ風の音と一続きの、音楽というよりはいっそ空気の震え。ある湿度と優しさを幾重にも波立てながら、駘蕩と人々の心をみたしていきます。

 そして紙子仕立ての白い装束を纏って、ゆっくりと直線的に、大らかに身を開いてゆく奈良のどこか儀式的な身体行動に対して、成瀬は長襦袢ようの深紅の衣装に白い頭巾を巻き、肉体を己の内側へ内側へと手繰り込んでは、ひたすらこの宇宙との一体化を夢みる浮遊状態の、どこか息苦しさをさえ伴ったものでした。此処に於いて、先ほどから風の変奏、と聞こえていた笙の音は、実は奏者の息遣いの変奏でもあって、二つの舞はその息づかいと微妙な間合いを取りながら、共に生命の根拠へと繋がっていく、それは私の個展の出発に当たって起こった鮮烈な事件だったのです。

― 『オイディプス王』に於ける東儀の舞 ―

 もう一つ、今回のアテネオリンピックに際してアクロポリスの古代劇場で上演された蜷川幸雄演出の『オイディプス王』に、極めて印象的な笙と舞楽が登場するのです。私はテレビ(04.8.29/NHK教育)で観たのですが、この悲劇の発端が語られた序章(プロロゴス)。続く入場のうた(パロドス)では、朱色の長衣に身を包んだ20人程の合唱隊(コロス)が、銘々に同じ朱色の飾り紐を巻き付けた華麗な笙を吹き鳴らしながら旋回する、ギリシャ悲劇に笙という意表を突いたものでした。しかし、もっと感動的なのは、その合唱隊の寸前に、雅楽師の東儀秀樹が、その巨大な擂り鉢の底のような石組みの円形の空間(オルケストラ)へ向けて、まこと鮮やかな舞を、詠(えい)とばかり踏み出る、その漆黒の長衣を目にした時です。

 東儀の創作になるというこの旋舞は、その独特な指遣いの組み合わせ、印を結ぶような、或いは何ものかを撃ち払うような所作。右手の指に撓めた力が天を指呼しようとすれば、連動してその力を押し上げるようにやはり右足が追う、というように独特な大らかな動きが弧を生みながら地を祓っていく。私はその時、東儀のその独特な旋律に見とれながら、ふと古代アッテカの赤絵壺に描かれた人物像を思い浮かべたのです。まさか、と思いながらすぐものの本に当たってみると、赤絵ばかりか彫刻やレリーフの戦士像なども、大方はそういう現代人の身のこなしとは些か異なる、いわばナンバ様に身を開いた描かれかたをしています。

 この悲劇はオイディプスという青年王の高潔な精神が、神々に由来する自分の運命に決然と立ち向かうという、神話のすぐ隣りに位する英雄伝説です。一方、舞楽にも同じような事情がありそうですから、そうした一シーンに、象徴的に舞われたこの度の東儀の舞。古代ギリシャ劇の笛に代わる笙。先述のギリシャのナンバにしても、実際がどうであったのかというよりは、一つの芸術表現の真実として、二千五百年の時を経てそれらが多重写しに重なる、という何とも感動的な体験をしたのです。それと知らず父を殺し母と交わるという、生の根底に眠るどうしようもなく禍々しい運命の究極の浄化、救いを天なるアポロンの神に祈る、即ち天と地を結び合わせるこの巫女的な舞はまた、王権の一つの表徴でもあるものです。

 こうした私の殆ど恣意的な伝統体験ですが、古くは武智鐵二演出による「隅田川/カリュー・リヴァー」(1977年)やナンバ走りと昨今のアスリート事情など、まだまだありますが、それぞれの伝統芸術単体で接するのとはまた違ったハイブリッドな体験、つまり「余慶(おかげ)」を蒙ることで、私という個の境を超えて、芸術の、或いは生命の根拠というか・・・に繋がっていく、という幸せな実感を抱くのです。了(略敬称)

― 都鳥、こっとい、カリュー・リバー ―

 以上が観世流の雑誌「能スケジュール」2月号に書いたものですが、短いせいもあってこのままでは舌っ足らずだったり、この雑誌が専門家対象であるために、門外の人には、例えば武智鐵二演出による「隅田川/カリュー・リヴァー」などといっても理解がいかないかも知れませんので、以下にちょっと蛇足を付け加えます。

 ご存じかも知れませんが「カリュー・リバー」はイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンによる歌劇「カーリュー・リヴァー」のことで、1956年NHKの招きによって来日したブリテンが、たまたま観た能の「隅田川」に「まったく新しいオペラ的な」感動を得て作曲したというものです。

 能の隅田川は観世十郎元雅の名作で、人買いに拐かされた愛児を訪ねて、狂乱の母親が都から遙々と東国へ下り、折しも隅田川の辺までやってくる、という悲劇の母親を描いた能です。その母親が歌う「名にし負はば、いざ言問はん都鳥、我が思う人は、ありやなしやと」という、これは伊勢物語に出てくる有名な歌がありますが、その都鳥をカリュー(ダイシャクシギ)に置き換えた宗教劇なのです。

 その通り、この隅田川は、その伊勢物語の「業平の東下り」として親しまれている隅田川の部分を本歌として出来たものということです。

 この都鳥は今風に申せば「ユリカモメ」東京浅草の言問橋はそのゆかりですが、私はかつて、奈良に住む女性がこの鳥のことを「こっとい」とよんでいることを聞て、「こっとい」即ち「こととい」で、なるほどと思ったことがあります。

 ブリテンがオーストラリアのアデレードで演出したときに、出演者に向かって彼の要求したのは、ただ一つ、「動くな」ということだった、と、武智氏自身から聞いたことがありましたが、なかなか示唆的な言葉で、ブリテンのその時の能理解の在り方を見る思いでした。

 そのオペラの始めに渡し守が顕れて、

 I am the ferryman.
 I row the ferry-boat
 over the Curlew,

 などど名乗りでてくるところなどは、まさにあの太郎冠者のせりふみたいで、私はレコードで聴くだけで、ブリテンのオペラそのものを観たことはないのですが、その限りで、それはオペラでありながらまた、もっとも能世界を感じさせてくれるものなのです。

 それを、武智鐵二演出による「隅田川/カーリュー・リヴァー」はもう一度、能の側から捉え直すという、極めて刺激的なことをしおおせたのでした。

 渡し場で彼岸へ渡してくれるように船頭に哀願する狂女である母親が、その子どもは人買いに無惨に捨てられて、向こうの岸辺で死んでしまった、と聞かされて悲嘆の果てに杖を取り落とす場面があるのですが、その細い杖が母親の手から放れて、ぱたっ! と舞台を鳴らす、非常に小さい音だったのにも拘わらず、水を打ったような劇場に、まことに身の毛もよだつ響きがひびいて、それから25ー6年を経た今でも耳についているくらいです。

 しかも隅田川が母親の永遠の業苦を謳うのに対して、歌劇「カーリュー・リヴァー」は蘇りの福音のよろこびに置き換えられ(武智)たものになっている、というそれを、日本の能によって更に再び捉え直す、というそういったお互いの伝統の往復運動のダイナミズムを、私は大いに楽しんだものです。

・ナンバ走りとアスリート事情、については「ナンバ走り」「ナンバの身体論」(光文社新書)いずれも»矢野龍彦他共著を参照してください。
・またオイディプス王については、荒木 勝先生が仰る「ホメロス問題」ともからめて、アリ研でさらに先生からも伺い、話題が進むことを期待いたします。


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