最近私は、昨05年と一昨年の二年間に、立て続けに3つの小学校の生徒に対し、”クローンド・ヴィーナス”と名付ける私の絵画のワークショップをする機会に恵まれました。
これらは学校側からの教育的要請というより、美術館活動の一環として行われたというところが特徴的でした。
従来、美術館というものは、いわゆる美術作品の蒐集/展示という重要な機能を持つものです。普通なら美術館を訪れた子ども達に、すでに出来上がった作品を展示して鑑賞させる筈のものですが、これはそうではなくて作家を学校に派遣して、作家のさまざまな遣り方で子ども達が自分の作品を作ってみる、いわば生(なま)の美術体験をするというものです。
初め行ったのは2004年8月の夏休み。東京都練馬区立美術館の企画による練馬区立第三小学校5年生56名に対してです。次の年2005年6月には国際芸術センター青森(以下ACAC)という美術館による青森市三内小学校3年生30名に、もう一つは同じく青森市甲田小学校6年生60名に対するもので、そのいずれもテーマは”クローンド・ヴィーナス”のワークショップ「悟空よ!」というものでした。この内練馬区立美術館の方は通常の美術館活動の他に、美術家によるこうしたワークショップを十年以上にも亘って続けてきたベテラン美術館だし、もう一つのACACの方は創立4年という若い美術館ですが、国内外の作家を招聘して、アーチスト・イン・レジデンス(以下AIR)という作家滞在型の美術展に特化された、そのための宿泊棟や大きな制作棟を具えたユニークな美術館です。私も去年05年春のAIRに参加して80日間にわたるそこでの仕事をし、青森の小学校へのこのワークショップはその一環として行ったものです。(亀甲館だよりNo.05:「わたくし的AIRな80日間」参照)
まず「クローンド・ヴィーナス/Cloned Venus」つまりクローンされたヴィーナスですが、これは私の絵画の方法に対する呼び名です。それは、いちど完成した自分の作品の任意の部分を切り取って、新しいキャンバスや紙の上に置き、その一片を生命の細胞に見立ててそこに込められた様々な絵画的要素を、恰もクローン(一種のコピー)するように描き継いで、別の新しい絵画を生み出してゆく、という、つまり自分で自分の絵をコピーしてゆく方法です。なぜそんなことを始めたのか?
今から25~6年も前のことですが、一つにはこのIT時代とか複製技術時代といわれる、そういう時代に、自分の絵画に”オリジナル”という考え方を私なりの遣り方でひとまず保留にして、改めて絵画というものの意味を問い直したい、という気持ち。(当然の成り行きであの©もフリーにしました)ですから基になった絵はさまざまに分化されて音楽のCDでも作るみたいに私の絵は、どれもどこか面差しが似たような作品がこの空間に偏在する気分で、たくさんの作品が生み出されます。それは一方でちょうどあの孫悟空―窮地に追い込まれると自分の体毛を一とつまみ抜いて、口に含んでふっと息を吹きかけ、たちまち無数の自分をコピーしてしまう、あの孫悟空の”分身の法”(これも一種の神話的クローン?)を思い起こさせるものでもあります。
じつは私は画家といってもべつに美術の専門教育を受けたわけではなく、勝手に画家と決め込んでそう言い触らしているだけのものですから、ましてや教育についてはまったくの素人です。そのためそれが学校本来の美術のカリキュラムとどう関わっていくのか、についてさえも私には必ずしも分明の限りではありませんでした。
ですから美術館からその依頼を受けた時、私の心の中にはほぼ60年以上も前の小学5年生当時の記憶があるだけで、それによると私は、常に病気がちで学校にはろくに出られず、当然授業も理解出来なくて、いつも”出来ない坊主”、学校嫌いの子どもでしたから、以後とんと学校という場所に足を踏み入れることがありませんでした。
それともう一つ、凡そ60余年に及ぶ画業の果てに行き着いてしまった、こんなデタラメな私の描き方などを他人様に教えても、果たして何の役に立つのか、という思い。気取るようですが『絵は結局、教えられない』なのです。それならば何を教えるのか!
いろいろな思いが行き交う中、そんな「出来ない坊主」の授業の中で、先生のおっしゃることが殆ど理解出来ないなりにも、はっと胸を突かれるような出来事が幾つかあったことに気づきます。
例えばある時、先生が突然「この部屋の今の温度は何度くらいか」と質問されるのです。別に理科の時間ではなかったのですが、小学5年生の秋のことです。そのとき「温度」ということはもちろん知っていましたけれど、それはあくまで教科書の中のこと。正直のところ普段私はそんなふうに考えたこともなく、つまり今まで、今日は寒いとか、暑いとか、いやうそ寒いなどと、今はやりの”体感”というアレで済ませて来たわけですから、当然答えられなかったのです。結局16°Cだったのですが、それは今でもハッキリ覚えているくらいに印象的な出来事でした。今感じているこのひんやり感は「そうか、これは16°Cなのか!」という驚きです。今にして思えば、まるで自分の掌にサリヴァン先生が書いてくれたWATERという文字に、突如この世界を感得したというヘレンケラーの、そのような(大げさですが)驚きでした。
結局私は75歳の今日まで、幾度かこうした「ヘレンケラーの水」的な体験に出会い、その思いに縋って自分の絵画を組み立てて来たようにも思えるのです。ならば、その”ヘレンケラーの水”的世界感得体験をこそ、子どもの達の中に創り出すような、単に絵の描き方を教えるのではない、そんな方法を一つの”システム”としてワークショップの中に埋め込んではどうか。つまり16°C/ロゴスと今感じているヒンヤリ感/パトス、ありふれた設定ですが、その二項の往復運動をです。
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