最近、日本では、ハーバード大学教授マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう──いまを生き延びるための哲学』(JUSTICE── What’s The Right Thing to Do ?[2010])が出版され、また同時に「ハーバード白熱教室」と題してNHKで講義の模様が大々的に放映され、大きな反響を呼んでいる。
抽象的な政治哲学のこの本がなぜ一般の人々に多くの影響をおよぼしたのだろうか。サンデル教授の講義がハーバードでもっとも人気のある講義であり、ペンギンブックスで出版されていることを考えれば、この正義をめぐる関心はアメリカ本国でも狭いアカデミズムの世界を超えた広がりを見せているのであろう。おそらく、サンデルの講義技術の卓抜さもその要因の一つであろうが、正義をめぐる一般人の関心の高さこそが主要な要因である、と思われる。
サンデルが紹介している正義に関わる現実問題は実に衝撃的である。世界の富の途方もない格差がまず衝撃的である。アメリカの普通のサラリーマンの年収と一流企業のCEOの年収が近年ますます拡大しているが、それが世界全体ともなれば、途方もないほどの格差となる。サンデルの挙げている数字では、2007年のアメリカの大企業のCEOは平均的な労働者の344倍の報酬を手にしている。これは単に経済の格差にとどまらない影響をおよぼしている。
高い壁に囲まれた高級住宅街、高級マンション団地は、アメリカだけでなく北京をはじめとする中国の大都市でも珍しくないが、この生活空間の区分けは、市民の教育や娯楽、趣味、消費生活に大きな差異をもたらす。こうした状況が続けば、市民間の連帯意識が急速に解体することは火をみるよりも明らかであろう。
エイズ治療薬の価格問題もしかり。先進国では、研究開発費をカバーするために高い薬価が設定されているが、この価格では感染者数の多いアフリカ諸国の人々は薬を手に入れることができない。発展途上国では、最低限の医療水準が保証されないまま、自らの臓器を販売せざるをえない状況が広がっている一方で、一部の富裕層による海外医療ツーリズムが広がっている。そして、富裕層が高度の医療を享受できるのに、貧困層は自分の生命維持すらおぼつかないという現実は、アメリカや日本においても出現してきている。
衝撃的な事実は、国防の根幹部分にも表れている。共和国の防衛は、市民の徴兵制によるべきか、傭兵によるべきか、はアリストテレスやマキャヴェリ以来大きな問題であった。それは国防の仕事が、平等性と市民的徳としての勇気と正義の涵養に深く関連しているからであるが、今日の共和制国家、たとえばその代表であるアメリカにおいては、軍制は、志願制という名の傭兵制に移行し、そこでは、金銭的対価が重要視されているばかりか、身分的対価や、教育のチャンスまでが対価の対象となり、国防の本来の任務に矛盾する事態が進行している。アメリカ軍は、短期滞在ビザでアメリカに住んでいる移民を募集し始め、「高給とアメリカ市民になれる近道」という売り文句で、約3万人を入隊させたといわれている。いまや富裕層は国防の義務をまぬがれ、貧困層や移民が国防の根幹を担う事態が出現している。また、最近のイラク、アフガニスタン戦争では戦争を大規模に請け負う民間企業も登場している。2007年のイラク戦争における民間企業の派遣者数は十八万人。これはアメリカ軍駐留部隊十六万人を上回っている。
日本では、国防義務の地域的偏りという問題が生じている。沖縄における米軍軍事基地の巨大な存在は、沖縄県民のなかで日本本土との連帯感を喪失させている。
さらに衝撃的な問題として、生命倫理をめぐる新しい事態がある。生命工学の進歩によって、高額な資金で代理母を獲得するビジネスが登場し、インドでは先進国の富裕層夫婦のための代理母提供村まである。これは正しい出来事といえるだろうか、という声が出されている。
また、同性婚や幹細胞、堕胎・妊娠中絶をめぐる議論も、アメリカをはじめ世界の秩序の根幹を揺るがす大きな問題になっている。いまや「自由な選択意志だけが正しい行為を決定する要因である」とは言えない事態が広がっている、とサンデルはいう。
このようなサンデルの問題提起は、今日の他の諸国においても基本的に有効であると思われる。途方もない貧富の格差、傭兵的軍事制度と徴兵制の矛盾、生命倫理の問題はいまや全世界において、その正当性の根拠を問われている、といっていいだろう。
それでは、このような正義をめぐる議論に、現代西洋はどのように対処してきたのだろうか。