サンデルの正義論講義をめぐって2

──現代西洋社会正義理論と批判荒木勝(岡山大学教授)

 西洋の伝統的な正義理解は、プラトンの『国家』(Politeia)以来、「各人にそれにふさわしいものを返すこと」といわれ、またユスチニアヌスの『法学提要』(Institutes of Justinian)においては、次のように定式化されてきた。

「各人に各人のものを与えんとする永続的、持続的意志」

 このような正義観はアリストテレスにおいては、比例的な配分という言い方で継承されているが、問題は、「各人」とは、平等者なのか、不平等者なのか、という疑問が生じる。古来、コミュニズムが提唱されてきた背景は、この人間の平等観が根底にあったことは明らかなことであろう。

 また、「各人のもの」とは、各人に帰属すべきものとして理解されるが、それでは各人に帰属するものとはなにか、がまた問題とされている。「帰属する」とはなにか、は所有論の問題に直結する。そこから正義論が私的所有をめぐって展開されることになる。社会主義が自由主義の私有財産の正当化に批判を向けてきたのも、所有の正当化をめぐる正義論であった。また「帰属するもの」は等質のものか、異質のものか、異質のものならばどのような基準で配分するのか、が問題とされる。これは経済学のレヴェルでは商品の価値論という形で論じられてきたし、人間にとっての価値を、効率や快楽や苦痛に還元できるとする功利主義の思想の根源的発想に関わる問題である。また、「与える」という場合、それはだれがどのようにして与えるのか、たとえば自由な意志を介してなのか、それとも第一人者が、たとえば神や哲人王が、自分の意志通りに配分するのか、あるいは、問題に関与するすべての人の合議や合意を通じて配分するのか、が問題とされる。

 「正義が神や君主の意志に忠実・忠誠である」こととする思考を、いわば縦の正義論とすれば、これは、ヘブライ思想の伝統やプラトンの政治思想に濃厚に表れているし、他方で、「民衆の合議こそ正義である」とする思想を、いわば横の正義論とすれば、これまた古来、民主主義、共和主義の正義論として継承されてきたといえるであろう。近代の絶対王政の理論的支柱を提供したとされ、いかなる法であれ法を順守することが正義であると主張したホッブスは、上述のラテン語の正義の定式を引用しつつ、正義の定義は、有効な信約(covenant)を守ることにあるとしている。正義の基底に、合意をふくむ信約を置いているところに注意すべきであろう。ホッブスもまた古代以来の正義論を継承しているのである。

 現代でも、正義理解には、この多義性という問題がつきまとっている。こうした種種の正義論のなかにあって、今日の西洋の正義論には、大きな3つの潮流があるといっていいだろう。1つ目は功利主義的思考であり、2つ目はカント、ロールズ的な、自由意志と合理的理性に基づく社会契約論的正義観であり、3つ目はマッキンタイヤー、サンデル等の、いわゆるコミュニタリアン的正義観である。

 本稿はこれらの正義観の概要の説明は、すでに周知のことでもあり省略するが、サンデル等の立場からする前二者への批判の論理に絞って、三者の異同を整理してみることとする。

[3]サンデルの問題提起へ続く


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