わたくし的AIRな80日間1

茶会じかけの”クローンド・ヴィーナス”キーワードは『予兆そして破壊と再生』
2005年春のアーチスト・イン・レジデンス
『手と目と耳の先へ』

【参加作家】
・ セヴィリーヌ・ユバール(フランス)
・ ジャン・マルク・スパーンズ(オランダ)
・ ゲルル・マルギット(ハンガリー)
・ 金沢 健一(日本)
・ 配島 庸二(日本)
【参加期間】
・ 滞在期間:
2005年5月17日~8月7日
・ 展覧会:
2005年7月2日~24日
【国際芸術センター青森(ACAC)】
〒030-0134
青森市合子沢山崎152-6
TEL:017-764-5200
http://www.acac-aomori.jp/

 アーティスト・イン・レジデンス(AIRと略称)、つまり作家滞在型の展覧会は、日本でもようやく知られるようになってきた作品発表の新しい形式。そんな現代美術の制度に特化した本格的な美術館として、国際芸術センター青森(館長・濱田剛爾/設計・安藤忠雄)は、従来の美術館のいわゆる展示スペースにあたる展示棟の他に、作家たちが自由に制作出来る広大な創作棟、3ヶ月近くの製作期間を過ごす宿泊棟などを備えて2001年に開館。以後毎年春秋のAIRの他に個展など数多くの展覧会を開催してきたものです。

 今回、図らずもACAC春のAIR「手と目と耳の先へ」に参加することになって、ここにもう一つ『舌の先へ』を加えて、ここ10年来続けて来たまったく自己流の抹茶の習慣を、この際、展覧会というパブリックな場に持ち出して作品化し、”茶会”という視点から、私なりに新たな”クローンド・ヴィーナス”を捉え返す、一つの”装置”としてみてはと考えたのでした。いわば茶会という仕掛けを持った展覧会という訳です。

 それは作品制作のほかに地元小学校の生徒たちに対するワークショップを始め、妻、山下敦子とのコラボレーション「食による自己表現」として、青森の地に由来する食材を使ったパン焼きのイベントなど、幾つかのプランが重層的に複合的に混ざり合ったものになる筈です。

 また茶会という空間を仮設することで、その重層、複合を可能にし、私の仕事に更なる展開を齎すのではないか。つまり、この機にわが “クローンド・ヴィーナス”のせせらぎに、一時、”茶会”という梁を仕掛けて、流れに潜んでふだんは見えないでいる何か、それが単なる塵芥の類いであるかも知れないし、もしかしたら痩せ細った泥鰌の一匹も掛かるかもしれない、という密かなヨミがあってのことでした。

― 青森の5月は”残酷なる月” ―

 私たちが最初に出会った青森の5月は、八甲田山の雪も7分通りは消えかかって、街には既に春先の暖かい空気が充ちていました。そしてここ雲谷(もや)の森はなんでもここ10年来の大雪に見舞われたとかで、至る所に雪の力で破壊された樹木の残骸が横たわって、私たちの散歩の足取りを妨げています。しかしよく見ると、驚いたことに、折れた木々の根元からは新しい枝が芽吹いていたり、また堆積する落ち葉の下からは、クマザサやスギナの新しい芽が勢いよく吹き出して、その枯れた葉や樹木の残骸を突き抜いて強く伸びようとする、自然の「破壊と再生」が交差する季節だったのです。まさに

 ”四月は残酷極まる月だ” (T.S.エリオット「荒地」西脇順三郎訳)

 なのでした。そして若き日に口ずさんだ詩句が思わず唇に蘇ってくるのです。

 リラの花を死んだ土から生み出し
 追憶に欲情をかきまぜたり
 鈍重な草根をふるい起こすのだ。

 というように・・・。

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 建物を森に埋没させる「見えない建築」をテーマにしたこの美術館の、文字通り深い森に抱かれる創作環境のなかで作家たちの心は、森の自然、獣や鳥や植物達の生の有様に触れてしぜんと柔軟に、鋭敏になり、ある場合には神秘的な啓示とさえ思えるほどの、見るもの聞く音すべてが生の鼓動そのものの輝きを発して、さまざまな発見の驚きをもたらしてくれるのです。そうした森の自然の真只中に立って、実は私たち人間そのものが既に、自身の内にこの自然の持つ破壊と再生を繰り返しながらその生を紡いでいる、という”存在”そのものの在り方があらわにされてゆくのを強く感じない訳にはいかないのでした。

 そしてそのような自然の”破壊と再生”の、その交点のところに是非とも今回のAIRでの私の仕事のすべてを挟み込んで、そこに極めて私的な”破壊と再生”のドラマを演じてみたい、という強い欲望、身体の底から湧き上がる鼓動を、つくづくと感じるのでした。そうなると今迄あれほどに蟠っていたアイデアやこまごまとしたプランなどが強い勇気を伴って、ごくしぜんに思い浮かんでは大きく膨らんでくるから不思議です。

― そのコンセプトは「破壊と再生」 ―

 もともと”クローンド・ヴィーナス”、つまりクローンされたビーナス、という私の絵画の方法は、いちど完成した自分の作品を切り刻んで、その一片を絵画的な細胞に見立てて、新しいキャンバスや用紙の上に置き、その切れ端に込められた様々な絵画の遺伝子的情報を、恰もクローンさせるように描き継いでいく、というものです。そのようにして切れ端はやがてもう一つの新しい絵画として育ってゆくのですが、これは別の言葉でいえば、いちど”破壊”された絵画的生命を新しく”再生”させる、とも言えます。ですから私はそれを暫く前から「破壊と再生」と読み替えて基本的なキーワードにして、20年あまり継続して来た”クローンド・ヴィーナス”の生まれ変わりを図ってきました。

 そこで今回のAIRで出会った雲谷の森の自然状況を前にして、これからここで生起する私の”クローンド・ヴィーナス”の制作やイベントのすべてを、この「破壊と再生」という基本的な視点で作っていくことにしたのです。それは取りも直さず、人間の作り出す破壊や同時に自然のもたらす巨大な破壊から、私自身を再生させてゆく、生き方を私自身が勇気づけるアートとしたい、という願いからです。

 茶会じかけの”破壊と再生”における今回の仕事のアイテムはおよそ以下の通りです。

  • “クローンド・ヴィーナス”によって破壊された『余白の再生』
  • “クローンド・ヴィーナス”のワークショップ『悟空よ!』
  • 妻、山下敦子とのコラボレーション「食による自己表現」のイベント1
    アピオスパン焼きの再生力イベント
  • 「食による自己表現」のイベント2
    “割れ茶会”と称する『予兆そして破壊と再生』の茶会
  • 縄文から未来へ『庸二の楊枝』12,000年プロジェクト
  • 『環境活性化ー炭書』グーテンベルグ期の終末に

 「茶会じかけの・・・」というわけですから、まず『予兆そして破壊と再生』と名付けた茶会のことから書きはじめるべきなのですが。その前に茶会のしつらえとしてのギャラリーの壁面を飾る私の絵画作品や小学校の子供たちに向けて行った”クローンド・ヴィーナス”のワークショップ『悟空よ!』について書いて、その上で改めて茶会のことに触れたいと思います。それらを並べた上で、茶会を仕掛けたことによってそれらにどのような”意味の泥鰌”がみつかったのか、という段取りです。


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