もう10日以上たってしまい、いまさらなのだが、今月の17日(金)つまり会期最終日の一日前に、昔の友人が奨めてくれた小瀧達郎写真展『PARIS 光の廻廊 2010-2013』を見てきた。写真展はすばらしくて、ため息がもれるほどだったのだけど(やはりオリジナル・プリントは違う! 印刷物や液晶画面では「再現」できない。見に来てよかったと思った)、それとは別に、ちょっと不思議な体験をしたので、忘れないように簡単に記しておきたい。
信じがたいことに、写真展会場の gallery bauhaus に行く途中で、じつは、道に迷ってしまったのである。そんなに「むずかしい」道じゃないし、前にも来たことがあるからわかっているつもりだったのだけど、お茶の水駅からギャラリーに向かっているとき、ふと「月光食堂」という看板が目にとまり(以前は気がつかなかった)、なにかの絵本か物語にでも出てくるような素敵な名前だったので、へーっと歩きながら看板やガラス窓越しに店のなかをのぞいたりしているうちに、曲がるべき道を過ぎて一本先の道に入ってしまったのだ。それが、そもそもの発端。日がそろそろ落ちようかという時刻である。
ギャラリーの入り口がなかなか見えてこないので、あれっ、おかしいな、こんなに遠いはずはないのに、と思っている間に、どんどん違う方向、違う道に、文字通り迷い込んでしまった。じっさいに去年パリで道に迷い、くたくたになるまで歩きまわったときのことを思い出したりしながら、あっち行ったりこっちに行ったりして歩きつづているうちに、気がついてみたら、方向感覚を失い、見知らぬ世界にワープしてしまったみたいで、なんだかめまいに似た感覚におそわれてしまった(高血圧症のならいで、ほんとに頭がフラフラするような感覚もあった)。バリ島の人が方位がつかめなくなることを恐れるパリン状態って、こんなんじゃないかとも思った。グーグル・マップでも見ればよかったんだろうが、その時は「すぐそこ、すぐそこ」と思って歩いていたので、スマホで調べようという発想自体が頭に浮かばなかった。
まあ、でも、はじめての異国というわけでもないし、人が道に迷うようにつくられているのが都市というものだ、などと警句を頭の中でころがしながら自分を励まして(?)歩いているうちに、道に迷ったらスタート地点に戻れという教えのとおり、なんとか人に道を訊ねながらお茶の水駅が見えるところまで戻り、ようやくギャラリーにたどり着くことができたのであった。しかし、時計を見たら、結局長針が一回りしてしまっているのがわかった。目当てのギャラリーは、普通に行けば、駅から徒歩6分(DMによる)のところである。
さらに「めまい」を加速した原因と思われるのは、ギャラリーに着いたところでスマホをポケットから出し、別件(黒沢清監督の映画『リアル』に関するFBの投稿)のコメントがあったので、その人にいまパリの写真展に来ていて、「ギャラリーに着くまでに夢のような体験をしました」と返したら(道に迷ったとは一言も書かなかった)、なぜかパリの街路図(画像)を付けたコメントが再び返って来た。たしかに「パリ」とは書いたけど、ほしかったのはパリの地図ではなくて、お茶の水近辺の地図なのである。しかも、いまさらもう不要だし、その知人はなぜわざわざパリの地図なんか付けてきたんだろう(しばらくあとに、LINEでも同じ地図を送ってきた)。私が「いまでも」パリで道に迷っていると思ってパリの地図を添付してきたのだろうか!?
あとでコメントを冷静に読み返してみたら、「お茶の水にいる」と私が書いたから、それにたいしてお茶の水界隈とパリのカルチェラタンの相似性を指摘したかったのだろうと理解できたが、その時は、それどころか、この二つの都市が夢と現実が混じり合うように一体となり、空間だけでなく時間のゆがみまで感じてしまった次第で、聖橋のうえから駅のホームをぼんやり眺めていると、「連想の魔」がはたらいたのか、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画『珈琲時光』までが記憶から浮かび上がってきて(そういえば『赤い風船』へのオマージュとして彼はパリを舞台にした『レッド・バルーン』を撮っている!)、電車にのり、家に帰りつくまでなんだか妙なフラフラ気分がつづいていた。
小瀧氏の写真のパリを見るという(見ようとする)行為を介することで、私はじっさいに「お茶の水(住所的には外神田、湯島、本郷あたりといったほうが正しいのだが)」という都市と、一瞬ではあるが、私の記憶と夢のなかのパリ、その二つの都市が通底しダブルイメージとなった迷路をさまようという、「小さな不思議」を経験をしたわけだけど、いまになって、それは何か一種のイニシエーション(通過儀礼)だったのかもしれない、あるいはイニシエーションに似た体験だったのかもしれないなという気もしてくる。しかし、では、それは何のためのイニシエーションだったのだろうか。
写真展では、小瀧氏は接客中だったので、ごあいさつもせずオイトマした。自分へのシルシとして、気に入った写真の絵はがきを一枚だけ買って、閉館時間の迫ったギャラリーをあとにした。すぐそばの「月光食堂」には、煌々と明かりが点っていた。
お茶の水とパリ、あるいは迷宮としての都市
投稿者:
タグ: