映画と夢の不思議なコラボ『リアル 完全なる首長竜の日』

 去年は他の年にくらべ、あまり映画を見なかったような気がする。映画についてブログに書いたり、友人としゃべったりすることも少なかった。
 今年は映画館に足を運ぶ時間をできるだけ多く見つけたいと思っている。しかし一方で、昨年劇場で公開されたのに見逃した映画が多いということは、公開から6か月後以降に市場にでるDVDとかで「新作映画」を見る機会もふえるわけだから、レンタルヴィデオ屋さんで作品を選ぶ楽しみも増加するってことになる。同じ映画を見るといっても両者はちょっと異質の体験なのだが、よい映画はヴィデオで見てもよいわけで、、、少なくともぜんぜん見ないよりは余ほど見たほうがよい。できるだけ部屋を暗くして見るとか。
20140115.jpg で、先日DVDで借りて見た『リアル 完全なる首長竜の日』。昨年公開された黒沢清の新作で、これがなんっともおもしろかった。映画が「もうひとつ」の夢であり、さらにラカン式に他人の夢を自分の夢として、自分の夢を他人として見る夢であることを実証するような、めくるめく映画的魅力が全開。これまでの彼の映画がそうであったように謎が謎を呼び、われわれの「目=思考」を多様な見方へと誘う、そんなスリルとイメージの豊かさに満ちた黒沢清の娯楽傑作だ(と私は思う)。
 ところで、なにやら唐突かもしれないが、映画とは語られることを求めるメディアである(内田樹)という意見には、率直にそうだな〜と同意するのだが、つまりある「未開社会」(あるいは古代社会)では前夜に見た夢を語り合う習慣があったといわれるが、そのことと映画を語ることとは、何か似かよっている、根っこで通じ合うものがあるのではないかと私は感じているからだ。
 また同時に、古代・中世文学の研究者西郷信綱がするどく指摘するように、近代は「見る夢」が、いつのまにか「持つ夢」に変換されてしまった時代ともいえるのではないかとも私は考える。つまり現代に生きるわれわれにとって夢は「若者よ夢を持て」というような憧れとか理想とか、さらにいえば近年ではしかもますます実現可能な「現実的な」持つ夢ばかりになってしまったわけで(夢を持つのが悪いといっているわけではない。誤解なきよう)、映画はそんな「現実」から「見る夢」を取り戻そうとする、つまり、人間の意識作用にまさに夢の機能を再生しようとする試みなのではないかとも、独断的に考えたくもなるのである。
 持つ夢も映画もともに近代の発明であることに違いはないが、映画とは見る夢の喪失と反比例して、その一種の代償物としてつくられ発展してきたものなのではないか。
 
 語ることも同様である。人はおしゃべりをするばかりで、いつからか語ることをやめてしまった。ある社会では見た夢を語ることで自分たちの「世界」を認識し、その世界の現実(リアル)が「神話」と地続きなものとして構成されたが、現代の社会(世界)は、そんな夢の喪失、夢を共有する技術をなくし、そのことがはじつは「現実」から強度をうばい貧困化を招いているのではないか。
 こんな仮説が成り立つとしたら、夢こそが現実を豊かにするということに気づき、多様な言葉で語っていかないといけない、っていうかそういう夢と言葉の贈与経済の実践こそが、いまあらゆる局面で問われているのではないかと思う。
 いっぺんに「すべて」を語る必要はないし、慌ててはいけないとも思うが、近代の中の野生(といってしまおう!)の窓、「野の鍵」を秘め持つかと思われる映画もいまやいつ終焉してもよいようなこの経済成長最優先社会、マーケティング全能のマニュアル社会、黒か白かその中間を認めず一元的に単純化し他を排除しようとする思考停止社会、暗闇を奪い明るいことだけを是とする「吸血鬼」も死に絶えるしかない(『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』!)ようなデジタル全盛なこの時代、われわれは「都会の中の野蛮人」(ランボー)でしかないのかもしれないが、、、滅びゆく野蛮人の記憶をかろうじて留めているいわば野蛮人の末裔として、同じ滅びるなら、ささやかながらにしても抵抗の意思表示をするなかで滅びてゆきたいものだと思う。それとも「月下の一群」(堀口大学)として、ある「群れ」として生き延びていく道はあるのか、探りながら、、。
 そんな夢(映画)を語る場(それこそがアゴラであり、「公共の場」の起源ではないか)や機会や人間関係が失われているいま、ブログやSNSをつかうのはいまできることとしてはそれなりに有効な面もあるんじゃないか。
 なにを言いたいのかわからくなってしまったが、、、『リアル 完全なる首長竜の日』のことを書き始めたらこんなほうに来てしまった。最初に戻ると、年も明けてもう半月。2013年度の映画ベスト3はなんだろうなと考えはじめたのがこの文の動機で、見たばかりの黒沢清のこの『リアル』は3本の指に入れても良いなと思ったためである。
 文頭で言い訳したように、昨年はあまり数は見ていないけど、見たなかであと2つ挙げるとしたら『魔女と呼ばれた少女』(監督/キム・グエン)、年末ぎりぎりで公開になった『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』(監督/ジム・ジャームッシュ)、、、『そして父になる』(監督/是枝裕和)もよかったけど、、、『ムーンライズ・キングダム』(監督/ウェス・アンダーソン)にも惹かれたな〜、、、って、けっきょくベスト5になったけど、まあいいや。とりあえず、そういうことにしておこう。
 ワーストは、、、いくつかあるけど敢て1本だけあげると『プロメテウス』(監督/リドリー・スコット)、あれはヒドかった(ファンには申し訳ないけど)。『エイリアン』(や『ブレードランナー』)は結構好きなだけに、彼はもともとそれほどスグレた監督でないにしろ、あんなナンもいいところのない作品なんかどうしてつくったのだろう。早く忘れたい。
 ちなみに、いまいちばん見る欲望を掻き立てられる楽しみな映画は、なんといってもテオ・アンゲロプロスの遺作/新作『エレニの帰郷』である。


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