引用の星座 3 『古代人と夢』

昔を想い出すことが忘れていた今を想い出すことであるような、そういう想い出しかたがありそうな気がする。
夢は個人の神話である。神話という独特な文化形式の下部形式となり、それを精神的に基礎づけているのは、かかる個人の神話としての夢である。
夢を魂のはたらきだと規定したのはアリストテレスが最初だが、…


…だから昔の表現では決して夢を「持つ」とはいわなかった。人が夢を「持つ」ようになったのは、もはや霊夢を見ることがなくなったからで、夢はどこまでも「見る」ものであった。
…魂は、自己のなかに棲みこみ、その生命を支える独特な力であると同時に、自己にとっては他者でもあったことになる。。私が魂を“持つ”のではなく、私は魂の保管所なのである。
日本とかヨーロッパとかの個別的な精神史をとりかこむのは、結局、“人間”の精神史といういっそうひろびろとした地平なのだ…
…精神史の[中略]困難は、具体的・経験的特殊性にあくまで踏みとどまりながら同時に普遍へとひらかれる道を志さねばならぬところにあるわけで…
(以下「解説」市村弘正、から)
『古代人と夢』の著者がいうとおり、覚醒は眠りの対立概念ではない。睡眠中の眼としての夢、すなわち他者へとひらかれた魂の眼としての夢がもつ「世界連関」が、広くかつ深いものであればあるほど、その諸要素は深々とした覚醒の契機となりうるのである。
<…>
本書が教えるように、「夢みられたもの」はかけがえのない「現実」なのである。より深い覚醒のための夢の在りかた、それをこそ私たちは想起すべきなのだ。

西郷信綱『古代人と夢』(平凡社ライブラリー 1993年)より。単行本は1972年刊行。


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