11月11日11時からアリストテレスと現代研究会のセミナー(通称「ミニアリ研」)を、東京・九段の現代文化研究所にて開催しました。タイトルは「戦略的思考を超えて【2】」。座長である岡山大学教授・荒木先生による講義と参加メンバー12名によるディスカッションで、幅広く、硬軟まじえた議論が展開されました。
この春に開かれた「戦略的思考を超えて【1】」の講義のまとめは、下記URLをご覧ください。
http://www.cafe-nous.com/a-ken/
話題は多岐に渡り「まとめ」は至難ですが、難解であるとされるため、なにかと敬遠されがちなアリストテレスの哲学が、じつは現代にも通じる根本的問題をはるか昔に提起し、解決のための思考の道筋を示していたことに驚きを新たにする思いであったことを、いまさらながらに、参加者のひとりとして報告しておきます。
「ひとはすべて知ることを欲する」(『形而上学』)、「善とは万物が希求するもの」(『ニコマコス倫理学』)、「国家とは最高の共同的結合体である。国家の根幹は正義である」(『政治学』)という3つの有名なアリストテレスの言葉を軸に、知慮、愛、正義をめぐる2300年前の古代ギリシアと現代との対話であったともいってよいでしょう。
現代社会の事例として「教育問題」「いじめ」「ロボット、AI(人工知能)」「遺伝子、クローン」「クオリア」などの話題も提出されました。それぞれに対し、アリストテレスだったらどう考えるかという質疑応答は、早急な具体的対処とは別に、わたしたち一人ひとりがしっかりと原理的な思考を鍛えておくことの大切さを意図せずにあぶり出していたような気がします。
《「ロボット、AI」に関連して、参加者のひとりから映画『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督)の話も出ました。ご存知のように、レプリカント(アンドロイド。知能を備えたロボットといってもよい)を追うバウンティ・ハンター(刑事)が、ある事件と恋愛感情が原因で、自分も人間ではなくレプリカントではないかと「懐疑」にとらわれてしまう物語です。私は発言しませんでしたが、そのハンターの名前は確かデッカードといい、”あの”デカルトを想起させる名前だったことが思い起こされ、とても興味深く話を聴いていました。デカルトの「人形愛」は有名ですし》
思考と実践はどちらが先か(優先すべきか)という議論もありますが、これは両方を一致させる努力を行うしかないわけで、この不一致が現代社会における諸問題の一因になっていることを、まずは認識すべきなのでしょう。この不一致は目的と手段の乖離でもあり、理想と現実のズレでもある。しかし、このズレを強引に理想を現実(といわれているもの)に引き寄せることで解決としてはならないはずです。逆に、ひとの努力は理想に向けて現実を引き上げることに使われるべきであり、その意味で、ひとは理想(夢)に責任を負っていることを自覚しなければならないと思います。むろん現実を無視はできません。また、理想も、実現への道は果てしなく遠いものかもしれませんが、現実から遊離したものではなく、あくまで「地続き」のものでなくてはならないでしょう。
そこに、戦略的思考を超えるための実践的戦略のあり方が問われているのだと思います。
そして、おそらく、「死ぬ存在」である人間にとっての、「霊魂(アニマ)」の問題が。
…取りあえず、報告にならない報告まで。