「不思善悪」ヌース三度

アリストテレスと現代研究会のMLで、itoさんから下記のメールがあり、会員だけで独占するには惜しい話だし、ほぼ全文をここに引用します。
ヌースのことも出てきます。

中国宋代の禅の公案「無門関」23則に「不思善悪」という話があります。
仏教系の中学高校で書道部に属していたため、月1回禅寺で行なわれる書道会の前に座禅をする慣わしでした。座禅を組んでいると、西川玄苔案主(中日新聞の占いを担当されていました)が、朗々たる声で講話をされ、そのうちの一つが「不思善悪」でした。難解ですが、釈尊の言われた「あなたはあなたに在ればいい。あなたはあなたに成ればいい。」にも繋がる言葉として意識が蘇っていました。
最近、アリ研でのヌース(直知)に関する議論を眺めていて、欲しい、惜しい、羨む、嫉むなどの世の塵を捨て去った、まっさらな自己から内発的に出ずる能動的な力がヌースではないかと、的外れと思いながら考えております。
参考までに、以下に「不思善悪」の部分を紹介します。
六祖(慧能・えのう)が、五祖(弘忍・ぐにん)から受け継いだ衣鉢(いはつ)を、明(みょう)上座が取り返しに来た。
六祖は、それを石の上に投げ置いて言った。
「この衣は伝法の証ですから、力で奪い取るものではありません。欲しければ持って行かれるがよろしい。」
明上座がそれを持ち上げようとしたが、山のように重くて動かない。
そこで恐れおののいて言った。
「わたしが追いかけて来ましたのは、法を求めるためであり、衣が欲しかった訳ではありません。どうかわたしに悟りの内容を打ち明けてもらえないでしょうか。」
「善とか悪とかを離れたとき、いったいどれがあなたの本来の姿でしょうか。」
明上座は大いに悟った。
さらに大地にひれ伏して尋ねた。
「いま教えていただいた秘密の言葉・秘密の内容の外に、さらに深いものがありますでしょうか?」
六祖は言った。
「わたしが示したものは、秘密でもなんでもありません。もしあなたが自分自身の本来の姿を振り返ってみれば、秘密はあなた自身のなかにこそあるでしょう。」

いかがですか。
今回は、わたし自身の「解説」は付けません。
こういうものは、自分でどう感じるかですからね。
なにか感じた方は、コメントください。


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