元祖ヘタウマ流・文人流文字 その2

その1はこちらから >>元祖ヘタウマ流・文人流文字 その1
─ 縦書き・横書きの戸惑い ─

 先の「文人流/ヘタウマ文字」の文中でもちょっと触れましたが、看板類の文字が殆ど右から左へと書かれていることに、少なからず違和感をもたれた方も多いのではないでしょうか。もしかして普段から観光旅行で寺院などの名刹を訪ねたときなども、昭和一桁生まれの、そして長年、町まちの文字を取材し続けてきて、こうした書字方向には慣れっこになっている私自身でさえも、こうして横書きで文章を書く場合等には、例えば「湯波吉」の文字にしろ実際の看板は「吉波湯」と読めてしまうのですから、まず「吉」から書き始めないと・・・といった、やはり違和感を感じながら書いています。「吉野葛」も実際の看板の文字は「葛野吉」と、私たちには読めてしまうのですから・・・。でもそれは現代人の私たちの眼の習慣がそう読ませるのであって、明治生まれの、あるいは江戸時代の人が見ると、今の左からの「湯波吉」は「吉波湯」と読んだ筈です。

 現代の、欧文等のように左から右へと書く横書きを「左横書き」、右から左へ書くのは「右横書き」と云いますが、昔は横書きという書字法は無くて、日本の文字はすべて縦書きが原則です。ですから一行の「右横書き」にする場合でも、大概の場合には、その際の落款などを縦に書いて、このいわば「隠れ縦書き」との整合性を付けています。湯波吉の看板の左隅を見てみてください。

 ですからこのパソコンのテキストエディットにしてもそうですが、それに依拠する限り「左から右へ=左横書き」という書法に依るしかなく、ましてや縦書きなどは特別なソフト(例えばIn Designとか)でしか書けません。これは想像するにその昔、欧文が日本に入ってきて以来のことで、それとの整合性を得るために生まれたものではないか。と、一応は考えるのですが、これらの書字方向については、屋名池誠著「横書き登場」岩波新書がとても詳しいので、もし、もっと・・・ということでしたらぜひ当たってみてください。

角館にて
角館にて

 ところで次の写真を見てください。これは角館という秋田県の有名な武家屋敷の、しだれ桜でも名高い町ですが、ここに明治44年に輸入された、ドイツ、シーメンス社製の水力発電機が、この町の誇る文化財として展示されているのですが、これはこの町に住む実業家・・・・が、いち早くこの地方の電化を図ったときに輸入された発電機に付けられていたプレートです。町の文化会館で見つけておもわずシャッターきったものですが、これをよく見ると、

   I. M. VOITH. HEIDENHEIM
      GERMANY
    といをふ ,むゑ ,ーい
     市むいはんでいは

と、2行の欧文の下に日本のひらがなとみえる文字が、筆で書いてそれを版下にして鋳込んだのでしょう。少し行書がかった筆記体で 、横書きの流れを意識して?、少し平たく書かれているようだし、フォントなどと違って文字も大きさや形がそれぞれ違っていて、なにか「一品もの」といった、とても贅沢な感じです。しかし何が書いてあるのか、にわかには判読できませんでした。上の欧文につられて、当然、左横書きとして読んでいたからで、落ち着いて見てみると、この方は律儀にも右から左へといった伝統的な横書き、つまり当時の日本の常識的な書式で書かれていて、つまり「いー、えむ、ふをいと、はいでんはいむ市」だったのです。

 HEIDENHEIMというのは当時、この機械を作ったシーメンス社のあった町の名前なのでしょうか、ドイツの南部にある都市です。要するにこれは当時の日本人にも解るように、日本語でも併記することになって、このようになったのでしょう。どだい、左から右へ書くという発想そのものが無かったのです。これは欧文の輸入につれて左横書きが生まれた、という説の例外、あるいはその揺籃期の出来事なのでしょう。なんとも微笑ましい。限りです。

 もう一つ、これは反対に明治時代の日本からヨーロッパ向けて輸出された磁器製の豆皿で、器の裏底に付けられたマークです。先の角館の発電機のネームプレートの場合とは反対に、日本からヨーロッパへですから、まず右横書きで「社會器陶本日」と半円形に日本文字を、その下段にRC、その更に下段にアルファベットを組み合わせたようなマークがあり、その下にNORITAKEと直線で、次は上向きの半円形に、横文字でNIPPON TOKI KAISHAと、これは当然ですが左横書き、つまり欧文の決まり通り記されています。

ノリタケの小皿
器の表面と裏面

 これは洋食器メーカーとして名高い現在のノリタケがその草創期、まだ日本陶器合名会社と云われていた時代の、明治、或は大正期のプレート類の、なにかの偶然で今に遺された、手のひらに載る程のトランプのクローバー型の小皿。我が家における来歴の程はわかりませんが、振り出した後のティーバッグを入れる皿に使っています(なお、詳しくはノリタケのホームページを参照してください)。

─ 日本にはそもそも横書きは無かった? ─

 ところでこの日本式の、右から左への横書きですが、実はこれは欧文のような意味での横書きではないのです。社寺の扁額類から商店の看板まで、そこに横長のスペースが与えられたことによる、止むを得ず書かれた縦書き(つまり1行1字の)だ、と私たちは教え込まれてきました。

太宰府天満宮の絵馬堂にて
太宰府天満宮の絵馬堂にて

 それが証拠に次の写真は、太宰府天満宮の絵馬堂に懸かる巨大な(多分畳一畳ほどかそれ以上の)扁額です。

      覩 萬 作 聖
        物 而 人

これは一見横書き風ですが、古い扁額だから右から左へ、というのはいいとしても「聖作萬覩・・・」と横2行として読んではXです。これは二字づつ縦に読んで「聖人 作而 萬物 覩」(「聖人作(おこ)りて萬物(ばんぶつ)覩(み)る」)と読むのだそうです。つまり一行がたった2字ですがこれでも縦書きです。

宇都宮にて
宇都宮にて

 もう一つ見てください。これは宇都宮市の日蓮宗の寺院で見た七文字のお題目「南無妙法蓮華経」の書かれた塔で、この文字はその台座の部分ですが横長のスペースに書かれているので、右横書き(つまり右から左へ)2行に「見觸皆菩 聞知近提」。しかしよく見ると縦の字間よりは横への行間のほうが幾分広めに感じられるので縦書きかも・・・「見聞 觸知 皆近 菩提」と読んでみると、教義のほどはよく解りませんが、「見るところ、聞くところ、触るところ、知るところのものは、すべて皆悟りに近いのだよ」と。何となく意味が通じるようです。つまり一行2字の右縦書きなのでしょう、これは。

─ 現今、左横書きの趨勢は? ─

 そうなるといきおい商店などの看板類はもとより、歴史の古さを誇る社寺の扁額の類いにさえかなりに左横書き、つまり欧文ふうな書字法のものが現今のトレンドになっているのかも知れません。まあ一般の商店などの看板類では、その店のポリシーで、昔風に右横書きにすることで、店の伝統的な風格を演出しようとするか、筆文字の野性味、あるいは風格のような感覚を求めながらも、いやそこまで古風でなくても、という場合には、店の前を行き交う人の大多数が、素直に読める筈の左横書き=つまり欧風の現代人に抵抗無く読める書字法を選んだりするのかも知れません。とりわけパソコンのフォントで作ったりするとそうなります。フォントの書体もかなり筆文字も面白いものが増えてきましたから、看板など、かなりの数で町の表層を飾っています。とりわけデザイナーが関わったのでは、と思わせる看板がどんどん町に現れて、文字そのものばかりでなく、その筆文字が洗練された看板類が登場して、町歩きの楽しみを倍増させてくれます。

─ 縦書き横書きの間で仕掛ける快い眩暈 ─
太宰府天満宮の絵馬堂にて

 そうした風潮のなかで見つけた次の写真を見てください。これは非常に巧みなデザインが筆文字をうまくレイアウトしている、というばかりではなく、日本文字の微妙な縦書き横書き関係と切り結んでいて見事です。欧文が入っていますから、これは左横書きと、いちおう云えるのですが、縦書きの感覚も持っています。でも、こんな縦書き(つまり行を左から右へ書いてゆくという)は、日本にはありません。これは先に挙げた、日本の文字には本来的に横書きは無くて、横書きに見えても縦一文字の右横書きなんだ、というアレを、欧文風に仕組んだのではないか、とさえ見えてくるのです。

 そして通りすがりの左党に、そういう境界の曖昧さへの軽い眩暈を誘い、このビルのB1はそういうシャングリラが開けている、といった想像を掻き立て、無意識に喉の渇きを、という深慮が・・・。ちょっと考え過ぎデスカネ。でも素晴らしい文字です。【郷土料理と日本酒のお店 郷酒】千代田区九段下03-3272-9867


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