元朝の元気印「大漁旗」

外川港の元朝line外川港の元朝
zoom 外川港の元朝

 元旦の朝、どの漁港もいっぱいに係留された漁船から掲げられる大漁旗で、極彩色に膨れ上がります。そしてどの旗も鮮烈な色彩で船の名前とそれから大漁の文字が冷たい風に躍ります。中には宝船や鶴亀、三蓋松、龍そして真っ赤に染め抜いた大きな鯛などと組み合わされた文字もあって、それらは全て漁師たちには縁起のいい、勇ましい、そして何よりも大漁を約束してくれそうなハレハレのデザインです。

 数年前のこと、そのハレハレのデザインの在処を探して、銚子の外川港でこの旗を専門に染めている小澤さんという紺屋を訪ね当てたことがあります。それから大分前、NHKの連載テレビ小説「澪つくし」で一躍有名になった銚子港ですが、そのテレビで遣われた小道具の大漁旗は小澤さんの染めたものだったのです。取材中の小澤さんのコトバがよかった。「この白い布(きれ)のこれだけの中に、お客さんの気持ちを汲んで、それがいかに下手な文字と絵だろうと、お客さんが喜ぶように、どう表現出来るか・・・」

勝浦港
zoom 勝浦港にて

 自分の絵や文字を、決して上手いと思っていない小澤さんは、ただひたすらお客さんの喜ぶように・・・つまり自己完結的でないのです。そうなると文字の身振りも、これでもか、これでもかと、ついつい大きくなるようです。そういう身振りが旗の空間をびっしりと埋めて行きます。

 小澤さんの染色は “糊染め” という方法で、糊筒という、デコレーションケーキを作るときのクリームを絞り出すような筒で糊を絞りながら、文字や絵の輪郭をなぞって “のり伏せ” という作業をしていきます。いわゆる双鉤填墨(そうこうてんぼく)です。小澤さんの手には、自分なりに文字の骨格がすっかり叩き込まれていて、生地に標した簡単な “アタリ” の上を実に手早く書いて行きます。その際、筆書きの作り出す文字の払いや跳ねなどの掠れなんかもずっと整理されて、単純化してゆくのですが、その分、表現が強くなっていきます。旗というものがある程度の距離をもって見られるものなので、この単純化による強調が大切なのだというのです。

 近頃では結婚式のお祝いに、友人一同から、とか、子どもの誕生祝い、果てはカラオケ大会の優勝旗にと、じつにさまざまな大漁旗のニーズがあるそうで、これら必ずしも漁業とは関係ない大漁旗も、小澤さんの手に掛かると、つまりこの白い布のスペースに、お客さんの求めるものが、みんな元気印の大漁旗になってしまうのです。

安政期の船の旗/江差line安政期の船の旗/江差
zoom 安政期の船の旗/江差

 本来の大漁旗は、大漁をした船が帰りながら、港に待機する者たちに合図がてらに掲げたものだったそうです。例の銚子の大漁節にもある「皆一同に まねを上げ通わせ船の賑やかさ・・・」というその「まね」で、もっと地味なデザインだったようです。山形の鶴岡市の資料館で見たものなどは、麻地に紺染めで、しかしゆったりとした大漁の文字が何とも豊かな表情をしていました。

 それが今では殆どが正月の予祝の意味で飾ったり、新造船の進水の祝いに船を飾る縁起物となって、実際の漁には使われていません。どの漁師に聞いても「近頃じゃあ “まね” をあげるほどの漁なんか、ありゃしねえよ!」という声が返ってくるばかりです。確かに私が住む南房総の一帯でも、灘が膨れ上がるほどの、この辺でいえば鰯の大群を追いかけた、といったような話しはとんと聞かれなくなりました。多分その頃から大漁旗の実用は終わり、合図の旗から豊漁の予祝の旗へと変わって来た。とすればこのハレハレの目出たづくしの満艦飾もさこそと頷けるのです。それもここ3〜40年の間のことらしいのです。(書苑案内/西東書房刊1992年1月号所収)


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: