表札鑑賞の楽しみ

– 表札鑑賞の楽しみ –
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 町を散歩する楽しみの一つに、家々の表札に思わぬ美しい文字に出会うという楽しみがあります。私の東京の住居は、新宿区のちょうど神楽坂の近くにあるものですから、この古くから栄えた花街は、何かの用のついでにとか、食事やお茶をしたり、あるいは散歩の足を伸ばすとか、かなり足しげくふらふらと歩きます。この辺にはまだ古い家もかなり残っているし、大通りは別としても、一歩裏道に入ると小粋な料亭や小料理屋、呑み屋が立ち並んでいます。そういう店では看板も大仰なものではなく、やはり小粋なしっとりとしたものが多く、そういう店店に交じって一角曲がると「新内横町」などと、飄然とした文字が息づいているのに出会います。新内節教室の、看板というにはあまりにもささやかな看板です。そこをもう一つ曲がると「鶴賀/高橋」と洒脱な文字の表札。鶴賀といえば新内の流派で、これはその太夫さんのお宅でしょうが特に「賀」の下の貝の下のちょんちょんを極端に長くとって、何かがふっと抜けて通るような字様です。こういう表札に出会うと、全く嬉しくなってしまいます。

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 江戸時代三味線の音を「淫声」と云った、と伝えるのは江戸学者の田中優子氏ですが(『江戸の音』河出書房新社刊)、この新内節こそ正にその淫声の極み、と云えるのではないかと、これは私の独断ですが、そう思います。この神楽坂の細い、水を打った路地を、連れ弾きを伴った新内語りの二人連れが、三味線をつま弾きながら流して歩く、そんな姿を目にしなくなって、もうかなりの時代が過ぎました。しかし、こうしてその芸が脈々と今に受け継がれているのは感激です。次の「新内協会」というのはそうした伝統芸を支えている組織のことでしょう。拭き漆を掛けたようなそれこそ渋い色の塀を背景として、生き生きと息づいています。

– 蒲鉾の板 –

 その渋い塀の色を背景にして、表札の素材もこの文字を、文字たらしめている要素の一つかと思われます。表札の大きさは大体縦20cm横9cmほどのものですが、素材は大体が木で、いちい、さわら、さくら、ひば(あすなろ)、えんじゅ、ひのきなどが主なものでしたが、その他に陶器や銅、中には名刺をそのまま玄関に画鋲で貼付けたモノもありました。しかしもう一つ、庶民の間では隠れた、しかしかなり一般的な素材がありました。それは蒲鉾の板です。

 その昔、といっても今から40〜50年ぐらい前の事ですが、同じ神楽坂に柳家金語楼というエノケン、古川緑波と並ぶ喜劇役者が住んでいましたが、テレビのまだ無い時代でしたから、その金語楼の漫談をよくラジオで聴いたものです。ヤマシタ・ケッタロー(山下敬太郎)と自分の本名を呼ばわるその体験から編み出した兵隊落語は、子供たちにもなかなかの人気がありました。それとは別に、今でも覚えている表札の場面があります。のっぽで近眼の男性が、友達の引っ越し先を訪ねるというのですが、一軒一軒の表札を、ぐっと顔を近づけて名前を読みながら探し廻るのです。やっと目指す友人の家を探し当てるのですが、近眼氏がぐっと目を近づけたとたんに、「む、なんだこりゃ、魚の匂がするな!」というギャグ。新所帯の蒲鉾の板を利用した真新しい表札だったので、まだ魚の匂いが残っていた、というわけです。何度聴いてもおかしくてみんな笑ったものです。

 そしてこれがおかしいのは、われわれの回りにそれはよくある事、もしかして今笑った自分の家もそうだったからです。始めて所帯を持ったときに、玄関に掲げる表札には誰でも、少なからぬ思い入れがあるものです。たとい蒲鉾の板であっても、かな釘流でも、その家の主が自分で認めたものなどに出会うと、こちらもともに生きているという共感が湧くものです。所番地が初めに書かれているのや、奥さんの名前が小さく寄り添うように書かれていたり、なかなかいいのです。

– 方階級? –

 わたしが生まれたのは、世に云う昭和の世界大恐慌の真っ只中で、その余波はしばらく続いて、大学を出たけれど、所帯を持っても家を一軒借りることが出来なくて、間借りとか寄食に甘んじる人々が随分居たのです。例えば二階を間借りに出すとか、玄関横の四畳半を、とか離れとかを、他人に貸すのです。当時、階級社会とか無産階級といった言葉の流行と同時に、それをもじって「方階級」などというスラングが流行ったのです。つまり手紙の宛名に常に、「誰々方」と書く、そういう身分という事ですが、その家の表札の下に名刺や厚紙に自分の名前を小さく書いて張り出すのです。「方階級」。ついでながらデモクラシーをもじったモトクラシーというのもありました。「灯台下暗し」という意味です。これらはれっきとした新語辞典に掲載されていたのです。

– 神様の表札 –
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 長野市内にちょっと「変わった表札あり」との知らせを受けて、早速飛んでいきました。「神様の表札」だというのです。神様の表札といえば神社の扁額の類いかと思いきや、なんと普通のいわゆる表札。これは街によく方位方角を観たり、姓名判断、祈祷をするような人がいるものですが、この家もそういったいわゆる易断所、祈祷所というものでした。私が来意を告げていろいろとお尋ねしましたが、全部で8枚の札が並んでいる右端は住所、次が神様の本名、次の三枚目は家族、次からはその時時の自分の運命を自分で占って、つまり姓名判断によって改名していったものです。真木田晃義、晃という字は日+光で何となく太陽神をイメージしているような感じですが、これはよほど気に入っているようで、次からは姓の方は色々に変えるのですが、この晃義だけはずっとこれで通しています。右から5枚目の文字は棚田と読めるのですが、不思議なことに木へんではなくのぎへんです。それも文字の画数を合わせるための方便によるのだそうです。姓名判断ではよくそういうことが行われていたようで、例えば、本来は点が無い文字でも、縁起の良い画数に合わせるためにわざわざ点を一つ付けておく、といったようにです。

 そして次のは、いかなるご託宣によるものか、突然画数を減らして本田に。そして一番左の二枚は、いよいよ神様らしくなってきて、なんと天國(てんくにではない)そしてさらに天神、と、つまり自分自身が天の神様になってしまったのです。この二枚の天の文字の第一画の横画の長さが違うことにも、おそらく運命的な拘りがあるのでしょう。

 私が訪ねたとき、神様は確か70代前半といった感じでしたから、この表札の左右では30年ほどの年月が経っているように思います。

– フォント文字の表札 –

 ところがこのごろ、この表札の事情にかなりの変化が起こって、その楽しみも少なからず減少させるものがあります。というのは、このごろの住宅事情が非常に向上したためか、或は建築の素材が多様になったために、この表札がどの家のものも立派になった、なり過ぎた事です。例えば材質も大理石とか、何かその他の美しい縞目をもった石の板に、大方は陰刻で、非個性的な楷書、中にはコンピュータのフォントをそのまま使ったのではないかと思われるようなものも見られる始末です。これは例えば建て売り住宅や、建築会社のデザインモデルの中に、表札のサービスとして最初から組み込まれている、と聞いたことがありますが、ありそうなことです。立派になったのはいいのですが、そのようにどの表札も画一化されたものになっていることです。ちなみにデパートやネットの表札揮毫では実にさまざまのデザインの表札が並べられていて、しかしどれも同じような顔をして並んでいます。中には書道の個性的な文字の見本まで用意されているのですが、それがまた、同じものが何処にでも並んで売られている、といった始末です。その家に住む人の個性とか人となり、もしかして人生を感じさせるようなものがなくなりました。それでは楽しみはありません。

 そのお陰で表札が真っ黒に古びてしまって、肝心の文字が読めなくなって、郵便屋さんを手こずらせるようなことも、これならば無さそうです。同じようなことですが、やはり古びた表札で、表札本体は風雨にさらされてそげ落ちるように痩せてしまっているのに、文字が墨で確りと書かれているために、文字の形そのままに、そこだけが腐食せずに盛り上がっている、そういう表札を見るというのも、また感動的です。書道の事を一名「入木道」といいますが、なんでも板に書かれた空海の文字が、かなりの深さまで深々と染通っ出ていた、という故事からそう呼ばれることになったのですが、そのままの出来事です。そんな表札に出会うと、自然と闘う強い意志のようなものを感じて、多いに共感するのです。


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