グーテンベルクの塩竈焼き2

アーティストの料理術[活字メディア終末料理編](撮影:小林洋治)
グーテンベルクの塩竈焼き
zoom
26冊のグーテンベルクの塩竈焼きと目の下一尺の大鯛。壁面にあるのは、蜜蝋製の盛り皿を鋳込むために利用した紙の母型。
– 百科事典26冊の塩竈焼き –

 塩竈焼きのレシピに従って卵白ほかを合わせた塩のペーストを本にべたべたに塗って、和紙で巻いて、順次岩谷さんの炭工房に送るのです。そしてやっと焼き上がってきた26個の『塩竈焼き』をアトリエの床に並べて、さて翌朝のことです。ふと見ると真っ黒に炭化した『塩竈焼き』の表面に水の玉がたくさん浮き出しているのです。頁の間からも透明な水晶のような液がしんしんと沁みだしているではありませんか。

沁みだした透明な塩水
zoom
沁みだした透明な塩水

 大いに慌てながら、恐る恐るその透明な液体を指で舐めてみると、これがかなり塩辛い。すぐさまGoogleに「塩を焼く」と打ち込むと、そこで判った事は、高温で焼かれても苦汁分が変化するだけで、塩自身はそのまま残っているということ。しかも環境の湿度が75%を超えると塩本来の吸湿性が再び現れるというのです。更にその日6月27日の天気図は、梅雨の湿舌が東シナ海に深々と張り出して、その前線がアトリエのある房総半島の南海上の目の前まで伸びています。その時のアトリエの湿度は何と、ぴったり75%! その滲出液の塩分の濃度は17ボーメ。これは海の塩分の約6倍弱という濃度です。

 ここにおいて私たちの『環境活性炭書』である『グーテンベルクの塩竈焼き』は、凄まじい塩の水を吹きながら、活字という『母型と父型の驚くべき結合、調和』の上に成ったグーテンベルクの錬金術的な知が、いま、アトリエの環境に漂う水分を、しきりに還元して止まぬ一つのメディアとして再生する、その神秘的な姿の顕われを目前にして、鳥肌が立つ感動を覚えるのです。

– そして八月の雪 –
八月の雪

 こうして当初、環境の浄化装置としての炭書として企画された「塩竈焼き」の上に、さらに「環境に漂う水分を、しきりに還元して止まぬ一つのメディアとして再生する姿」を見ることになったわけですが、じつはこの『塩竈焼き』にさらなる発展があったのです。

 というのも展示中の『塩竈焼き』がやがて梅雨を過ぎて8月に入ったある日のことです。写真でもいくらか見えるように表面にちらほらと白いものが出来ているのです。指でとって舐めてみると、これはまさしく塩そのもので、とするとついさっきまで、しきりに噴き出していた塩水が、8月の猛暑の中で乾燥して、再び塩に還元したもののようです。ほかの「塩竈焼き」でも、程度の差こそあれ、どれもちらほらと白い粉が噴いています。

作品の表面に浮いた塩の結晶
zoom
作品の表面に浮いた塩の結晶

 わたしはふと、その還元をもっと促進させてみたらどうなるのか、と思いついて、「塩竈焼き」を全部、庭先のかんかん照りの日向に並べて天日干しをすることしました。まるで塩田です。その日の炎天の温度は42度。

 するとどうでしょう、小一時間もたたぬうちに、全ての作品の表面にびっしりと塩の結晶が出来ており、思わず「おっ、雪!」と、叫んだのでした。よくみると塩の噴き具合は、もちろんどの作品も同じではなく、不思議な、ある場合は不気味なくらいな文様が出来上がっているのです。或るものは唐草様の連鎖模様をつくり、或るものは部分的に集中的に凍りついていて、まるで北極圏の航空写真のようです。

 こうしてみるとこの「塩竈焼き』は、それが永遠ではないにしても、この先、季節の循環とともに、塩、水、塩、水・・・という形相的変化を循環させる、さらなるメディアとして生きることになるのでしょうか。

[スペシャル・サンクス] グーテンベルク印刷機については天草のコレジヨ館、東京の印刷博物館に、特に鋳造機については同博物館の展示、ライブラリーを参考にしました。炭焼きについては、青森県深浦町の炭工房『勘』の岩谷義弘社長ご夫妻、大船さんの多大なご協力を。また、姨捨民話の取材では千曲市の語り部野本洋子さん、千曲市の馬場條氏、長野市の林巴さん、岡谷市の古畑しずゑさんのご協力を得ました。記して感謝の思いを捧げます。
※本稿は、財団法人石田財団発行の季刊誌『Ars』2号に掲載した記事に、後日談を加え再編集したものです。

投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: