グーテンベルクの塩竈焼き1

アーティストの料理術[活字メディア終末料理編](撮影:小林洋治)
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 今回のアーティストの料理術は『グーテンベルクの塩竈焼き』という、なんとも珍奇なものです。フツー「塩竈焼き」と云えば「鯛」ですが、この料理術では書籍つまり本を、日本の料理の理法で、塩で包んで蒸し焼きにして、実は「炭」を作ろう、というものです。

– なぜ本を炭に焼くのか –
炭書
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「C」の活字を埋め込んだ炭書

 私の考えでは本というのは、特に15世紀半ば、マインツのグーテンベルクによって発明された活版印刷術によって、人間が言葉を話すようになって以来の様々な過剰を一気に拡大して、私たちが今見るような巨大な文明を生み出してきた、その大元にあるものです。しかしそれも今、高度に発達するエレクトロニクスに、知の、或はメディアとしての主役を、譲り渡そうとしています。
 私はそのグーテンベルク期の終末に向けて、そういういわば「文明の書物」を炭に焼いて、この書物の果たした功績にオマージュを捧げると同時に、それが築き上げた過剰な環境の、ささやかな浄化を果たすものとして再生させようという、まあ、他愛が無いと云えば無いものですが・・・。

– 事の発端 –

 もともと「本を炭に焼く」というこのプロジェクトは、私配島庸二が、05年春、国際芸術センター青森(以下ACAC)という美術館に於いて、3ヶ月に亘るアーチスト・イン・レジデンス(以下AIR)という、作家滞在型の展覧会に参加して、その時、私に割り当てられたギャラリー空間で、パートナーの山下敦子とともに行った「破壊と再生の茶会/割れ茶会(「亀甲館だより」No.05を参照)」と称するイベントで、殆ど衝撃的に思いついたものです。壁いっぱいに展示されたワークショップの子供たちの分厚い作品が、音の過剰な反響を幾分か吸い取って、茶会の会話をスムーズにしてくれていることに気付いたのです。もし私の薄っぺらな作品だけを並べていたのでは、こういう効果は得られなかったのではないか、と胸を突かれる思いでした。

– 自己主張の絵画からの覚醒 –

 今日の今日まで、ひたすらな自己主張に明け暮れて、自分の主張を世界に向かって少しでも押し出してゆこうとしてきた、今までの私の絵画の生き方。こんな事をしていたのではいけないのではないか、という、焦りにも似たその時の衝撃でした。この生徒たちの作品のように、人間が作り上げてきた様々な過剰を吸い取ってくれるマイナスの力を持つアート、という啓示です。つまり絵画という構造の中に、たくさんの隙間、空間を持つ、それも文明の過剰を吸い取る陰圧の袋をもった有袋類アート、とでもいう構想です。
 そして書物を炭に焼く、というアイデアが殆ど瞬間的に生まれました。
 山下/IT時代に入って、メディアの姿もまた激しく変わって来て、例えば街のスーパーやファミレスなどもコンピュータを駆使することで、客の嗜好を瞬時に読み取っては刻々と計量化し、商品を並べ替え、またそれに対応したテイストを付加した新商品を次々と開発してくる、といった、そこでは食品さえも素直に食品ではなく、人々の欲望の縦横に入り組んだ、メディアの網の目の一節に組み込まれてしまいました。

はいじまようじ
塩漬けにした本を一冊ずつ和紙でくるんでいく

 そしてそれを『環境活性炭書』と名付けて、この文明が作り出した環境の歪みを聊かなりとも浄化するモノとして再生させよう、というプロジェクトをたて、日本海側の町深浦で、建設業の傍ら環境浄化に特化した炭を焼く、岩谷義弘さんの工場へ送って炭に焼いてもらったのです。
 今回はそれを料理という理法に組み入れて塩竈焼きというレシピで、料理ではなく炭に焼こう、というものです。そこで私たちの本棚はもちろん、有り難いことに何人かの友人の事務所の移転や整理ではみ出した本や、また可燃ゴミとして捨てられた本を頂いてきたり、結局800冊近い本が集まったのです。そしてここに積み上げられた本は、一方では、紙を多量に使用するために、今や森林を食い荒らす、ひとつの恐竜とでもいう貌も持つ事になってしまった、そういうメディアでもあるわけです。

– 塩竈焼きのメニュー –
  • アルファベットに因んで26冊の百科事典の『塩竈焼き』
  • M・マクルーハン著『グーテンベルクの銀河系』と拙著『町まちの文字』『祈りの文字』の二著を一つにして『塩竈合わせ焼き』
  • 目の下一尺の鯛の塩竈焼き
  • グーテンベルクのカステラ焼き
カステラ
余った卵黄を利用したカステラづくり

 山下/それにこれは当初のプランには無かったのですが、カステラというオランダ渡りのパンを焼く事になりました。じつはこの塩竈焼きという料理には、卵白を大量に使います。例えば一個の塩竈焼きを作るのに、卵白5〜7個分が必要で、今までのテスト段階でも卵黄の処分に困っておりました。そこで卵黄をたくさん使う料理として考え出したのがカステラを焼くことでした。「長崎カステラ」実はグーテンベルグの印刷機がローマからヴェニス経由で日本に最初にもたらされたのは、1590年の長崎、そして天草でしたし、カステラは同じ頃スペイン、ポルトガルから、やはり長崎へ。それが、私たちのシステムキッチン上で出会うというわけです。
 『塩竈焼き』は下拵えとしてまず、天日塩25kgで飽和食塩水を作り、それに当の百科事典ほかの本を3日ほど浸します。何といっても百科事典は活字時代の代表選手。その塩漬けを作るわけですが、なぜ塩漬けに? 私たちは先述のように、岩谷さんの協力を得て盛んに『炭書』を作るのですが、実は炭の原料も樹木、本の紙もパルプで同じく木材だとは云え、紙は薄いものですから、木炭のようにしっかりとしたソリッドな「本」という形での焼き上がりが得にくいのです。

– 信州姨捨民話との出会い –

 まあ、それはそれで良かったのですが、そんな或るとき長野市に住む知人Hさんに「塩漬けの縄を焼く」という信州の姨捨(おばすて)民話の事を教えられました。国の掟に従って一旦は山奥へ捨てた老母の智慧に、国中が救われるという話です。
 ちょうどその時、姨捨山棚田で田植えが行われ、そこで、その姨捨民話を語る会が開かれると聞いて、私と山下は早速姨捨棚田に出かけました。
 ここ信州更級の里に伝わる姨捨伝説が、今様語り部、野本洋子さんの、やわらかく、温かい語り口にのせて、初夏の空気の中を漂うように、そしてそれを聞く私たちを優しく包んでいまきす。更級の姨捨地区は日本一の規模を誇る棚田の、従って、いにしえより”田毎の月(たごとのつき)”の名所としても知られた場所で、折しも行われた棚田の田植えを見物し、そして田植えを終えた70余人の中学生に囲まれて、今様語り部、野本洋子さんのによる姨捨の昔語りを聞いているところなのです。

縄
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民話を模して作った炭の縄

 老人を山に捨てる、といういわば棄老伝説は、日本各地にたくさんのバリエーションがあって、野本さんの語る更級地方のこれも、その一つです。特徴的な点は、老いた母親を一度は捨てに行くのですが、どうしても捨てこられずに、掟に背いて再び家に連れ帰って密かに養う、という、いわば孝行息子の話になっていることです。
 やがてその老母の知恵のお陰で、隣国から「『灰で綯った縄』を出せ、さもなくば攻め滅ぼす」という難題が持ち込まれて国中が困り果てているとき、老母から教えられた「塩漬け」のアイデアのお陰で、国の危機が救われるという物語になっていることです。
「そんなこん、ぞうさもねえこんだわ。まず、塩水によーくほとばしたわらで縄をなって、それを、そうっと焼いてみな」
 そうすれば、恰も灰で綯った縄のように、しっかりとした形に焼き上がる、というわけです。
 野本さん語る姨捨民話の一節ですが、聞いているうちに、野本さんという一人の語り手の話を聞いている、というよりは、こうしてむかしから、何千何百ものお婆さんにいざなわれて、一緒にその姨捨の現場に立ち会っている、そういう気分にさせる、まことに野本さんの”言葉の力”は、私たちを、それこそ言葉通りに「はーらかむかし」の異界に立ち会わせて、現在と過去といった境界を取り払ってくれるように思えるのです。
 私たちの炭書は、こうして「塩」というファクター得て、塩竈焼きという今回の料理術に乗ることになった、というわけです。
 一口に言うと、塩で本の「漬けモノ」をこしらえて、それを更に炭に焼いて「環境を浄化する炭」として再生させよう、というものです。そのアイデアのお陰で私の本も、一段と美しい炭として焼けるようになったのです。

– 口頭伝承というメディア –

 前回のアーティストの料理術『アリストテレスの焼き鳥』が少なからずホメロスをソースにしての料理だとすれば、この姨捨伝説も、元はと言えば口承伝承のもので、いわばメディアとしてひと続きに並べてみる、という事になったわけです。もちろん現代に聞く昔語りですから、ホメロスの叙事詩がそうであったような、また我が国中世の説教節がそうであったような具合に、素直に口頭伝承、と云うわけにはいかないのでしょが・・・そういうものだと思っています。
 野本さんの姨捨物語は、活字の知とはひと味違う、直感的な普遍的な知の共振の様を感じて、「グーテンベルクの塩竈焼き」にさらなる広がりを作り出すことになりました。

– 塩漬けのインスタレーション –
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塩漬けの山

 私たちも今回、その姨捨民話をなぞるような気持ちで、天日原塩500kgを使って、アトリエと今度の料理の拠点となるシステムキッチンを結ぶ空間を繋ぐ形で、塩漬けの山を築きました。床に塩を敷き、その上に本を並べ、又、塩を積み・・・という具合に、まるで白菜かたくあんを漬けるみたいに、積み上げていくのです。

– 岩谷さんの焼く炭 –

 ここでちょっと岩谷さんの焼く炭のことを述べたいと思います。岩谷さんの炭工房『勘』というブランドは、特殊な焼き方で炭にたくさんの隙間を作り、家屋の調湿とか消臭、水質浄化、それに融雪剤、土壌改良材といった環境効果に特化した炭で(もちろん燃料にも十分使えますが)、そこに建設業岩谷さんならではの環境的な目線を強く感じるのです。
 なにしろ材料は商売柄多量に集る建築廃材と、品種の入れ替えなどで出るりんごの廃木ですから、森をいっさい傷つけない炭焼きなのです。そのために岩谷さんは、従来のいわゆる山の中に築く炭焼き竃とは違う、ステンレス製のハイテックな、六畳間ほどもある大きな四角い竃を築きました。焼成温度も初め400度で、その後、800度まで上げる事で、炭の中に残る一酸化炭素などのガスを再燃焼させて抜き去る、という特殊なアイデアです。文明の作り出した過剰を吸い取る、たくさんの空間を内包した炭。少し大げさですが、それは私の絵画の上に殆どコペルニクス的覚醒体験をもたらしました。


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