サンデルの正義論講義をめぐって4-4

──現代西洋社会正義理論と批判荒木勝(岡山大学教授)
[4-4]アレントのアリストテレス理解の問題点

 ハンナ・アレントは、『精神の生活』(The Life of The Mind[1971.Vol.1.2.U.S.A])において、アリストテレスの意志について考察しているが、そこでは、「アリストテレスは意志の実在については認識する必要がなかった」(Vol.2.p.1.)とされ、行為の選択的自由を意味するとされるプロアイレシス(proairesis)は、眼前にある手段の選択的自由だけを意味しており、真に内面的な、目的そのものを選択する自律的な意志についてはまったく論及されることがなかった、という。

「プロアイレシスという選択の能力は、意志の先駆けである、というように結論づけたくなりがちである。・・・我々は、目的に至るための手段についてのみ熟考するのであって、目的については自明のことと思っており、選択することはできない。我々は、健康あるいは幸福について考えはするであろうが、だれも、それらを熟考したり選択したりしない。目的は、人間の本性に生得的なものであり、すべての人にとって同一である。・・・こうして目標のみならず手段も与えられることになり、我々の自由な選択は、たんに、諸手段を合理的に選び出すということになる。プロアイレシスは、幾つかの可能性を調停するものである」(ibid., p.62)

 アレントによれば、意志の自由というものに近い概念として理解されてきたこのプロアイレシスは中世でリベルム・アルビトリウム(liberum arbitrium)と訳されて普及したが、それは、あくまでも目的・手段の合理的選択意志にすぎず、「何か新しいことを始める自発的力や、それ自身の本性によって規定され自らの法則に従うような自律的能力」を扱うわけではない、とされる。

 しかしアリストテレスにおいては、さきに見たように、目的は、確かに人間にとって自然本性的なものであるが、各人にとって自明であり、選択できないもの、というようなものではない。目的は人間にとって、根源的意志(ブーレーシス[radical will])の対象であり、またそれが意志の対象である限り、意志が理性的欲求であることを考えれば、この目的が何であるか、という問いの対象になるのである。確かに幸福は万人にとり究極の目的ではあるが、幸福の内実については多様であり、そのなかでいかなる幸福を目的とするかは、ある意味で選択の問題となる。目的は、アリストテレスにおいて、人間社会における善としては、意志の選択的な対象であった、といってもいいであろう。これを、目的手段間の選択と区別する意味で、目的間選択の理論としておこう。根源的意志は予感知(マンテイア)によって知られた目的から出発して、自己内の内面的対話や他者との対話を通じて、目的間の選択を行い、そのなかから適正な目的を選択するのである。

「根源的意志は、目的に関わる。このことはすでに述べたことである。だが、一部の人々においては、根源的意志は善であるところのものに関わると考え、また他の一部の人においては、根源的意志は善に見えるところのものに関わると考えている。今もし、前者のように、根源的に意志されるもの、とは善くあるところのものを意味すると主張するならば、目的を正しく選ばない人の根源的意志するところのものは、根源的に意志されたのではないことになるし、また後者のごとく、根源的に意志されたもの、とは、善に見えるところのものに他ならないと主張するならば、本性的に根源的意志されるものは存在せず、各人に善と考えられるところのものがそのまま根源的に意志されるものであることとなる。しかし、善に見えるところのものはそれぞれ異なるのであって、場合によっては、互いに反対のものであることさえある」(『ニコマコス倫理学』第3巻第4章1113a15-22)

 アレントの誤読は、このアリストテレスのブーレスタイ(根源的に意志する)を「あるものを、より望ましいものとして観ること」(ibid.,p.15)と理解し、その言葉が根源的意志であることを看過したことによるのであろうし、また目的──善の重層的な把握、目的間選択の構造を把握し損なったことに起因しているのであろう。

 アリストテレスにおいては、人間の行為の目的は、それがその行為の主体者によって意志される時に善きものとされ、目的に関する選択の対象となるのであり、この目的を選択したのち、それを特定の行為の場で実現しようとするとき、目的──手段の選択的意志(プロアイレシス)が発動される、と解されるのである。その意味において、アリストテレスにおいては選択もまた二重に行われているのである。ただし行為の究極目的に関わる際、この根源的意志が発動されるが、その際、この根源的意志は、人間の予感知、直知と共同して人間や自然の自然本性を、また人間社会の自然本性的秩序を把握しようとする。

[4-5]ロールズの善理解へ続く


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