サンデルの正義論講義をめぐって3

──現代西洋社会正義理論と批判荒木勝(岡山大学教授)

 サンデルによれば、今日の危機は、家族、地域、国家の連帯の喪失、またそこから引き出される成員間の名誉感の喪失という点に集中的に表れている、とされる。富の途方もない格差は、市民間の経済格差のみならず(この点への是正を論じることがロールズ正義論の基本テーマである)、むしろ市民間の連帯的意識の喪失に決定的な影響を及ぼす。そして、この格差を克服すべく構想された功利主義、ロールズの正義論も、この事態を根本的に改善する思想的力を持っていないとされるのだ。功利主義は市民間の格差を、快楽と苦痛の量的還元によって最大多数の最大幸福を追求しようとするが、市民間の格差の質的側面を覆い隠し、市民の個別的な固有権利を無視する論理を内包している。ロールズの正義論は、抽象的な個人の自由意志による合理的選択に重きを置くため、各種の共同体の、自己犠牲的精神を含む名誉や連帯意識の涵養に貢献しない、と。

 サンデルやマッキンタイヤーたちの主張の中心は、個人を抽象的に措定するのではなく、特定の共同体において形成されてきた具体的歴史的な物語との連関で個人をとらえようとする見解。いわば負荷された個人(encumbered self)という視点である。さらに各種の共同体がもつ固有の目的を重視する目的論的視点から個人の役割を規定しようとする論点である。この点から、サンデルは自らの立脚点を、個人の自由で合理的な選択意志を決定的に重視するカント、ロールズ的な主意主義ではなく、アリストテレスの目的論的社会理解に置くべきだと主張する。今日の正義論の核心はまさにこのアリストテレス的目的論的正義論の復権である、というのである。

 しかしながら、このサンデル、マッキンタイヤーたちのアリストテレス復興の意志は、カント、ロールズたちの提起した、個人の自由意志に基づく社会契約論に立つ正義論に対して、充分な説得力を有しているだろうか。

 各種の共同体の本質的な目的を重視することは重要な指摘だとしても、もしこの目的が、個人の自由意志に基づく選択と矛盾する事態となったとき、この共同体の目的は個人を抑圧する価値体系に転嫁するのではなかろうか。ロールズが常に批判する包括的社会理論の支配する共同体は、個人の自由意志を抑圧する社会であるという議論がふたたび持ちだされるのではないだろうか。あるいはまた、コミュニタリアニズムは、連帯と名誉の再興を強調するが、新しい社会的事態のなかで正義の在り方を提示する意志の可能性を無視することになるのではなかろうか。アリストテレスの目的論的社会論がこれまで浴びてきた基本的難点が、この理論の全体主義的傾向にあるという主張も、この論点に深く関わっている。多元的国家理論の提唱者であるE・バーカーが、自らアリストテレス主義者であることを標榜しつつも、このアリストテレスの目的論的社会論は全体主義的だと断じるのもこの点と関っている。

 サンデル、マッキンタイヤーたちコミュニタリアニズムへのリベラリズムからの批判の核心も、まさに共同体の全体的な目的が個人の自由意志と両立するかどうか、という論点をめぐって展開されてきたのであるが、サンデルの論理はいまだこの点に対する説得的見解を表明していないように思われる。

 そこで、本稿では、サンデル、マッキンタイヤーが依拠するアリストテレスの正義論について、彼らの読み方とは違う解釈を提示し、アリストテレスの目的論的正義論が、カント、ロールズの理論に機械的に対立するものではなく、むしろ一部を包摂しつつ、あらたな、いわば主意主義的ヴォランタリスティックな目的論的正義論を提示していることを示そうとするものである。

[4]新たな正義論の構築へへ続く


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