アンチ・アンティゴネの時代

0219.jpg 昨日(18日)、いささか風邪ぎみということもあり、定期診察も受けなければならなかったため、朝から使い捨てマスクをして地元の病院へ行った。
 病院はえらい混みようだったが、おかげで(?)診察までの長い待ち時間のあいだに、大昔に一度読んだきりのソフォクレス『アンティゴネー』を再読することができた。今回は福田恆存訳で(ソポクレス『オイディプス王・アンティゴネ』)。写真は新潮文庫版のカバー(オイディプスの顔のレリーフ)と私がしていたマスク(> _ <)。  ちなみにオイディプス王はエディプス・コンプレックスのエディプスのことであり、映画などでも描かれて有名なので、彼の物語なら知っているという人も多いだろう。アンティゴネはそのオイディプスの娘である。  で、混雑している病院の待合室で『アンティゴネ』を読んでいて、以前には覚えのない胸にグッとこみあげてくるようなものがあったのだが、それはおそらく歳のせいで涙もろくなったからとばかりはいえず、いまのこの時代だからこそのことであるような気がする。  どんな時代、社会にも通じる普遍性------。真のすぐれた古典とはそういうものなのだろう、いまのこの時、この日本社会においてこそ広く読まれるべきだと思った(これがおよそ2400年も前に書かれたものだとは、あらためて驚かざるをえない)。  国、家族、法、権力、女性性(「妹の力」)、そして死と埋葬(喪の儀礼)......。  ことに、先の震災(自然災害)や原発事故(いまも続く人的災害)から、あろうことか何の自省もせず教訓さえも引き出そうとしないこの国の為政者や、喪の作法をわきまえず、目先の損得勘定に浮かれ強権を発動する者たちは、愚かな王クレオンに己の似姿を見るべきである。いや、他者の言を聞く耳をもたぬとはいえ、欲得よりはむしろ「法」に忠実たらんとしたクレオンのほうがまだ、よほどマシかもしれない。己の誤りを認め、少なくとも「天罰」をその身に受けるわけだから......。  終幕近くの言葉を引用しておこう。「、、、人間にまつわるあらゆる不幸のうち、一人の人間の無思慮ほど大きな不幸を呼ぶものはない、、、」。  ちょっとベタすぎるけど、コーラスの長の最後のセリフ。「叡知こそ仕合わせにとって何より大いなるもの、また神々にたいする敬意は決して蔑ろにしてはならぬ。傲れる人の昂ぶった言葉はやがて罰せられ、ようやく年をとるに随い、叡知がどれほど大事なものかを身に沁みて悟るのだ」  しかしいまの時代、それではもう遅いかもしれないのだ。考えてみれば、ある意味でアンティゴネも決して賢くはない。クレオンにはヌース(感性的知性、直観)が欠け、アンティゴネにはロゴス(言葉、理性、知略)が欠けていたといえるかもしれない。  本来、ロゴスとヌースは表裏一体のものであり、両者で補い合い、支え合い、高め合うもの、そのバランスをいかにとるかが、アレテー(技量、徳)として重要なのである。  それにしても、しかしである。神々が姿を消してしまって久しい近代以降、ますますアンティゴネの声が奪われがちな社会になってきていることは間違いないというべきだろう。


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