韓流歴史ドラマ『イ・サン』に嵌まった!

 数カ月前、ある雑談の折り、アリ研(アリストテレスと現代研究会)の座長荒木先生から「見るべし!」とすすめられていた韓流歴史ドラマ『イ・サン』を、きのうやっとDVDで全巻見終わった。じつは美術家の配島さんからも「あれは朝鮮のシェイクスピア劇だ」といわれて、そこまで両師がいうのなら、ということで、試しに1,2話見始めたら、これがみごとに嵌まってしまった。いまさらですが、韓流ドラマ、これまでほとんど知らなかったとはいえ、まこと侮っておりました。
 レンタルDVDで39巻、全77話という大長編(1話は1時間ちょっと)。6月1日から見始めたので、4か月半かかったことになる。しかし、なにかと気鬱になりがちな昨今のよどんだ日々のなかで、家人と2人で夕食後ニュース(嫌な気分になる報道ばかり!)のあとの時間を見計らって観賞したひと時はなかなかに充実した楽しい時間で、最後の方は見終えるのがおしいような気までしてきて、見るのを数日先延ばしにしたりして……。
 ここまで中だるみせず、見る者を先へ先へとひっぱっていく力は大したものだと思う。ちょっと強引かもしれないけど、最近やはりアリ研のメンバーのひとりが推奨してくれた村上春樹のインタビュー集から引用するなら「・・・(物語に)最終的に重要なのは、次々に起こる何かを読者に期待させることなのです。次の展開がどうなるのか読者が想像せずにいられない。それがすぐれた物語です」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文春文庫より)。
 こっちは映像による連続ドラマだけど、まさに、そんな物語だった、よくがんばったとドラマの頭をなでて慈しみ褒めてあげたい気分(そんな頭はないけど)。むろん完璧などということはない。これだけ長く、複雑に伏線がはられながらサブ・ストーリーなどがからんでくる話なので、モチーフが展開しきれていないと感じる面や若干の筋の未消化部分も皆無とはいえない。しかし、そんなことよりも、細部の不自然さがほとんど気にならないほど、思いきりよく説話の型をきっちりと守りながら、読者(視聴者)の予想を裏切る(上回る)展開で「説話論的な持続」をもたらすその手腕、その速度感、テンポの心地よさ! むろん、ほめすぎかもしれないし、その点はちゃんと見るのは初めてゆえの新鮮な印象が高評価に大いに影響しているのだろう、としても(長尺の連続ドラマに嵌まったのは、もうずいぶんと前のアメリカのテレビドラマ、あのデヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』、そして初期『E.R.』以来)。
 聖君にならんと誓う王の理想主義、そして「友愛」に最高の価値をおくその生き方、さまざまなアポリアに正面から立ち向かわんとする正義(バランス)への意志などなどアリストテレス、いやアラキトテレスが興奮して推奨するのもむべなるかな、といった要素が盛りだくさんの「おはなし(ナラティブ)」。たしかに、アリストテレス『政治学』じゃないけど、こういう賢く人望もある王なら王制も悪くないかも、と思わせられる。中世の歴史劇に欠かせない道化役のコンビもいい味出してるし、平家物語を彷彿とさせる諸行無常のはかなさも漂う。権力のむなしさ、底に流れる庶民の力強さ、運命の受容と人生への静かな肯定。脚本と役者(キャスティング)と演出、そして舞台設定が見事一体となった、あなたも私も感涙必至の大長編歴史絵巻でありました。パチパチパチ。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: