レイ・ブラッドベリが亡くなった。「死」と「無限」と「存在」に怯える、あの少年期の恐怖と不思議への感応(官能)を、それを知る「呪われた」者のみが共有しうる、霧笛に震えるような夜の詩情として描いた作家である。
私は、ことに10代後半から20代前半にかけて彼の小説を愛読した。なかでもとくにお気に入りをあげるとしたら、やはり『十月はたそがれの国』と『何かが道をやってくる』の二作が筆頭にくるだろうか。前者は初期の短編集で、後者はいわゆる現代ダーク・ファンタジーの先駆的な作品であり、掛け値なしの傑作である(と私は思う。私のベスト・ワンをあげるとしたらこれである)。
他にもF.トリュフォーが映画化したことで名高い『華氏451度』、『火星年代記』や『たんぽぽのお酒』、後年の『二人でここにいる不思議』(短編集)などなど、あげればきりがないが、どの作もブラッドベリならではの「標」が刻まれた名品ぞろいである。
ジョン・ヒューストン監督の映画、あのメルヴィルの『白鯨』の脚本家としても有名で、また、日本人の感性と響くものがあるのか、日本にもファンは多く、萩尾望都が『霧笛』など彼の短編小説をまんがにしているが、両者をともに好きだった私にとってはこれも忘れがたい作品だ(日本人ではないが、あまり言及されることがないのでひとつ付け加えておく。ジャズ・ミュージシャンのウェイン・ショーターがブラッドベリの読者だったようで、彼のかつてのグループであるウェザー・リポートに『I Sing The Body Electric』というブラッドベリの作品名を冠したアルバムがある。ウェインはたいへんなSF愛好者で、また親日家としても知られている。じつはいま、彼のCDをかけながら、これを書いている)。
なお私的なことをいい添えておけば、いまから30年近く前に、当時の彼の新作短編を二、三作、編集者として掲載を提言し、ある雑誌(日本版OMNI誌)で翻訳を紹介できたのはファンとして名誉なことだし、うれしい思い出である。
ブラッドベリは一般にはSF作家として分類されることが多いが、むしろ幻想文学の系譜に連なる作家といったほうがいい。SFという定義自体が曖昧なもので、SF作家と呼ばれる作家のなかには、科学や科学技術は社会背景、あるいは事件の道具立ての一部に過ぎず、あきらかに「現実を超えた」怪奇現象や眼に見えないものに対する畏怖や恐怖を好んで題材とする者がいるが、ブラッドベリはあきらかにその雄であろう。
では、幻想とは何かといったとき、同様にその定義の困難さにぶつかるが、問題なのは定義することではない。私にとってはむしろブラッドベリの小説のほうが「先」にあり、これこそが幻想というものの一種なのだなと「事後的に」了解したものである。
また、いわゆる怪奇幻想を扱った短編小説のそれならではの良さ、味わいというようなものもブラッドベリで覚えたといってよいだろう。ブラッドベリはその量からみても短編小説の作家といえるわけで、その詩才は短編という形式のなかでより一層発揮されたように思う。私が同じ短編作家・詩人であるポーやホフマンやネルヴァルなどの幻想・幻視の「大家」の作に魅了されるのは、その少し後のことである。
ほぼ同時期に集中的に読んだアイザック・アシモフやアーサー・C・クラーク、ハインラインやフィリップ・K・ディックなど、いわゆるSF畑の同時代の巨匠たちと比べてもブラッドベリはどこか特別な、ある意味で「外れた」存在だった。それぞれが多かれ少なかれ科学の主題性と物語の説話性をそなえるなかで、ブラッドベリはぐっと後者へ傾いた作家であり、科学による「進歩」など端から信じてもいなければ、逆に反対もしない、まさに無縁の人として孤独に、孤独を愛しながら生きて書いた作家である。
かといって、孤高というのともちょっと違う。どういえばよいか、「高級」な文化よりは大衆的なサブ・カルチャーを好み、しかし/だから、自室にこもって空想を追いかけるような、元祖ひきこもりのオタク的嗜好の持ち主だったともいえるだろう。彼自身、あくまで大衆作家であることを望んでいたに違いない。だから、ちょっと気取った大人になりかけの内気な青年にとっては、他人に彼が好きだというのはいささか気恥ずかしい面があり、ある程度の慎重さが必要だった。
一時期、このおセンチで自閉的、ナルシスティックな一面が少し嫌になったこともある。後期の自己模倣的で技巧が目立つ作も敬遠した時期もある。しかし、そのブラッドベリが死んだという報に接したとき、やはりある種、特別といってよい感慨に私の心がとらわれたことも事実なのである。それで、そのつもりもなかったのに、数日おいてこのような文を書きはじめてしまったのだろう。
「死」を恐れ、もしかすると憧れもした、あのブラッドベリが「ほんとうに」死んでしまった!(ほんとうに?)。この、どんな人間にもいつかは死が訪れるという事実。この事実を知ったときにとらわれる形而上的な恐れと存在の不安。
私も10歳前後のときに「突然」鷲掴みにされた、底なしの発狂しそうな恐怖。これはある種の「少年」を襲う特有の現象のようだが、そのころ、人はこの「死」や「無限の宇宙」を前にしてどうしてこうも平気な顏をして呑気に生きていけるものなのだろうと不審に思っていたものだ。このことを人に話しても笑われるか、馬鹿にされるかのどちらかだと思っていたし、じっさいにそうだった子どもの頃。真夜中に目覚め、こんなことを考え、無限とか永遠という観念に文字通り気が遠くなるほど怯えているのは私だけだ、という孤独感。なぜ「私が」呪われねばならないのか、という不条理きわまる絶望感。
後年、それは私ひとりではない、ある種の文学作品や哲学書などで同じ存在論的な不思議/驚異に対する志向・思考を共有する人たちがいることを知ったが(というか、「それ」がある種の哲学や文学、芸術の根っこにあることを知ったが)、それをひとつの少年期特有の夢として、自分だけの苦悩ではなく少数とはいえある人々と共有できる怖れ・哀しみとして、ノスタルジックで甘美な叙情でくるんで語ってくれたのがブラッドベリだといってよい。彼もその特殊な情感を「書くこと」で普遍化し、その恐怖の澱のようなものを透明に「薄め」ようとしたのではないか。共感とは一種の感性の同盟関係のようなものなので、それは、この社会を「よそ者」として生きていくうえで必要な小さな勇気といったものを、作家と読者のあいだで醸成し共有することにつながる。
ブラッドベリの新作がもう読めないのは淋しい。しかし、逆説的だが、これで彼もやっとあの恐怖と不安の感情から解放されることができたのだ、とも思う。それとも晩年には、すでに何も恐れるもののない穏やかな「待機の状態」のなかにいたのだろうか。どこか、遠くに住んでいて、旅が嫌いな人なので滅多に会ったことはないが、ほのかな親しみを感じていたひとりの「ぼくの叔父さん」の訃報を聞いたような気持ちである。
ブラッドベリという名からは、青年期に読んだ小説家のひとりとして、なつかしくもあり、いつも若く新鮮であるような、忘れ難い思いが甘く切ない不思議な香のようにかおってくる。大学の文学部にはいり、ブラッドベリの話で気の合った何人かの友人の顏も思い浮かぶ。ブラッドベリの訃報は、忘れかけていたその頃のことを、また、つかの間、意識に浮かび上がらせてくれた。思えば、彼は「記憶」の作家でもあった。
新聞の記事によると、本年6月5日没。享年91歳だったという。
ブラッドベリ追悼
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コメント
“ブラッドベリ追悼” への2件のフィードバック
石井様
私は決してブラッドベリーの良い読者では無く いやむしろトリュフォーの作品
『華氏451度』の原作者としてしか認識してしていませんでしたが、でも何か
気にはかかっていた作家ではあり続けていました。
この追悼文を読んで、やはり遅ればせながらでもじっくりと読んでみなければと
思う次第です、、、、
<それにしても、ウエイン・ショーターなんて名前は 懐かしい“VSOP”
の時代が甦ってきます、、、、>
早速、ご推薦の短編集『10月はたそがれの国』からでも読んでみますか、、、
それにしてもこのところ、吉田秀和、新藤兼人など90歳を超えた One&
Only の逸材の訃報が続くようです、、、、
2012・6・15
庵頓亭主人
庵頓亭主人殿
コメントありがとうございます。
きのう秋田に「日帰り」で行ってきました。
男鹿半島&八郎潟って、なんとも不思議な興味深いOne & Only な地ですね。
ブラッドベリと近い(味わいは異なるけど)存在の作家にシオドア・スタージョンというやはりOne & Only な人がいました(たしかまだ訃報はきいていないので生きていると思うけど)。なんとも奇妙な、だけど惹かれるSFとも怪奇幻想ともとれる小説を書く作家で、一時は、この人の人間離れした作風が好きでした。ブラッドベリは、そういう意味では、あまりに「人間的」で……。
あっ、関係ない話で、すみません。
ついOne & Only という言葉に引っぱられて。