夢の中へ(つづき)【バリコラージュ4】

[ウブドの光る雨0-1(つづき)]
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 私にとって今回のバリは、5度目のバリである。はじめてこの島を訪れたのが20数年前で、前半の10年間に4回来たので、ほぼ10年ぶりということになる。一度は計画しつつも出発日直前におきた“あの”爆弾テロ事件のために、キャンセルを余儀なくされるということがあり、またバリに行きたいという想いを抱きながら、機会を待ちつづけた10年であった。
 5度目のバリ、そして、5人の旅人。
 私にとってのバリの旅の重要な要素は、いつも“旅の仲間”がいることである(バリにおいて「5」という数字が重要な意味を持つことは後になって知ることになる)。
 たとえばヨーロッパの都市などとちがい、なぜかバリにひとりで行きたいと思ったことはなく、じっさいにこれまでのバリの記憶はすべて、同行者たちのそのときの面影と一体化している。何度目かということもさることながら、誰といっしょにバリで過ごしたかによって、それぞれちがったバリが目の前に浮かんでくるのだ。
 喜びや快楽は共有されることでこそ喜びや快楽になるという、あたりまえのことではあるが、バリという土地はそんな要素がとくに強いのかもしれない。
 それと、もしひとりでバリに来たら二度と帰れなくなるかもしれないという恐れが、気持ちのどこかに潜んでいるのかもしれないのだが(夢の世界から日常に戻れなくなる恐れとでもいうか。悪夢というのは、帰り道を失うことの不安が大きな要因になるわけで)。
 私以外は、バリの初体験者であったこと、このこともよかった気がする。
 10年という年月の隔たりと、4人の旅の仲間たちは、私に一旅行者としてバリをもう一度“はじめて”体験するための、新鮮な“まなざし”をあたえてくれることになるはずだから。
 男2人、女2人の同行者たちは、夜の向こうに何を見ることになるのか。


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 この夜の道行はウブドのわれわれの宿まで、クルマを降り、ホテルのロビーからやし油の小さな炎が両側に連なって燃える狭い通路を通って、一戸ごとに囲われた塀のこれまた狭い入り口をくぐるまでつづいた。
 いかにも隠れ家風のたたずまいと、天井の高いゆったりとした部屋の作りやエスニック・モダンなセンスのいい調度品に、仲間の誰かから「オーッ」という声がもれる。
 空港の免税店で購入したワイルド・ターキーを一杯だけあおり、翌日の予定を手短に確認しあったあと、部屋の照明を落として、みなほぼ同時にベッドにもぐりこんだ。白いシーツには、何枚ものマゼンタ色の花びらで美しく模様が描かれている。形を崩すのはちょっともったいないと思いながら、その鮮やかな花びらを磨きあげられた石の床に払い落として、私もベッドに横になった。
 両腕を頭の後ろに組み、高くて暗い星のない夜空のような天井を見上げる。
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 闇の中のベッドは、夜の大洋を漂う小船のようだ。前夜、家で同じように枕に頭を沈め、なかなか寝つけぬままにバリを想っていたことを思い出すと、なんだか、自宅の布団にくるまったままここ「ピタ・マハ」まで漂ってきたかのような錯覚に陥る。それとも、自分はまだ家の寝床の中にいて、眠れぬ夜を耐えながら夜が明けるのを待っているのだろうか。
 夜は物の輪郭ばかりか、時間や距離の感覚もあいまいにする。
 旅先での第一夜はいつも、だいたいこんなものだ。すでに、夜中の2時か3時くらいになっていたと思う。はじめて旅に出た子どものような興奮で、なかなか意識が休んでくれない。
 以前に来たときのバリの別の宿、ここ数年で十数回は通った沖縄の夜のことも思い出す。あるいはフランクフルトやパリ、ソウルやハワイでの最初の夜。それぞれの宿泊地の最初の夜、最初の寝床は、枕を媒介にしたネットワークでつながっているかのようだ。どこかはわからないが、今後行くことになるだろう、見知らぬ異国のベッドの枕とも。
 複数の“私”が、それぞれの宿で眠ったまま、ひとつの同じ夢を見ているのかもしれない。そんな気までしてくる。


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