バリ島が好きだ。一言でバリの魅力を語ることはむずかしいけど、バリは何度行ってもいいし、なにかきっかけがあれば、いつでもすぐにでも飛んで行きたくなる。熱帯の植物に囲まれたヴィラスタイルのホテルで終日のんべんだらりとするのもいいし、ウブドやその近辺で夜ごと演じられるガムランや舞踊の波動に身をゆだね、軽いトランスに酔うのもまた格別である。それに、行くたびに、変わらぬものと変わるもののバランスが絶妙のバリの多様性を体験できて、なつかしいと同時にいつも新鮮な感触を味わえるのもバリならではのことだろう。数年バリを訪れる機会がないと、とにかく”あの”空間に戻りたくていてもたってもいられない気持ちになってくる。戻りたいというより「つかりたい」といったほうがよいかもしれない。温泉みたいなものだけど、どっちにしろバリは循環的に往還したくなる地なのだ。
じつはごく最近も、ある人に誘われバリに行く計画が具体化、ほぼ4年ぶりに「バリ熱」がぶりかえしたのだが、私自身の仕事や他の事情であきらめざるをえない状況でちょっとガックリきているところ。バリは誰と行くかによっても楽しみ方が微妙にことなり、私にとっては同行する人に合わせていろいろプランを練るのも”もうひとつ”のバリのたのしみ方なのだということに改めて気づいた次第。
それはさておき、この機会にバリに何度も行っている人にも、はじめての人にもお勧めの本を一冊紹介しておこう。
今回はバリの旅を逃したが、この話が持ち上がったときに、何年も前に買ったままで「積ん読」状態になっていた本を開き、読んでみた。バリの文化に興味ある人にはよく知られているもので、コリン・マックフィーの『熱帯の旅人―バリ島音楽紀行』(大竹昭子訳、河出書房新社。1990年初版発行)というのがそれ。
バリに関する本(ことに日本語のもの)は概ね目をとおしているけど、なかでもこれは名作といっていいと思う。なぜ、この本をいままで読まずにおいたのか。おいしそうな料理の品ほどあとにとっておくというあの心理からか。食べてみたら、やはり美味かった、というわけだ。
1930年代、ガムラン(音楽)の研究を目的にバリに渡った、カナダ生まれの作曲家によるバリ旅行・滞在記になっているのだが、バリの人々との交歓の様子や当時のバリの空気が生々しく(といってもひじょうに品のあるさわやかな筆致で)伝わってくる。
くわしいことは省くが、30年代(1931年から1938年12月にかけて、3回にわけて通算5年のバリ滞在)のこととはいえ、一度でもバリに行ったことのある人には、バリの変化自在な変容ぶりのなかに、変わらずにある種の不思議としてそこにのこり伝わってくるものを感じ、読んでいるあいだはあのガムランの響きが遠くから聴こえてくるようで、なんとも幸福な気分に浸れること受け合いである。ことにヴァルター・シュピース(やグレゴリー・ベイトソン、マーガレット・ミードなど)の滞在時期とも重なるウブドとその周辺の村の風物描写や人々とのつき合いの様子は、個人的体験を超えた一編の物語としてじんわりと胸に沁みてくる。
またいつかバリを訪れる日を想い、現代社会の息詰まる日常の日々から”一瞬”離脱するには格好の本である。最新の情報を盛り込んだ華美な旅行ガイドブックばかりがあふれかえる昨今、読むことがそのまま旅である本書のような書物が書店から姿を消してしまわないことを望む。
私もまた、今回のぶりかえした「バリ熱」に乗じて、私のバリの物語を再開してみたい気になってきた。まとめて書く時間がとれないのが悩ましいところだが、ときどき断片的に綴ることならできるかもしれない。ブリコラージュならぬバリコラージュってな具合いに…。
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