妻、山下敦子とのコラボレーション「食による自己表現」の2つのイベント
前述のように今回AIRに参加するにあたって、ぜひとも「食による自己表現」と自ら名付けるパン焼きのイベント。もう一つは自ら「予兆そして破壊と再生」と名付ける「割れ茶会」という茶のパフォーマンスを企画したのです。
パン焼きのイベント、などと勿体ぶっても、ある日突然ギャラリーで、来館者にむけてパンを配り出す、というただそれだけのイベントなのですが、しかしこれはただのパンではなくて、私たちが作り出したレシピ「アピオスパン」という元気の出るパン、すなわち今回のコンセプトからすると「再生力」に富んだパンなのです。
アピオス、それはこの青森地方で昔から妊婦や病人が滋養強壮の為に食べていたという別名「ほどいも」ともいわれる豆科の植物で、この青森の東南部にある天間林と倉石という町の特産物です。最も今では新潟県でも、私のアトリエのある房総半島でも作られているようですが、とにかく親指大のイモのようなもので、それを練り込んだパンというわけです。しかしこれは別に今回のために作り出したレシピではなくて、大学で土壌改良の研究をしてきた兄弟の一人が、その産地である天間林という村で穫れるこの植物に関わったことから、偶然その存在を教えられたことが、きっかけになって、私たちはここ10年くらい前からそれを練り込んだパンを焼いてきたものなのです。
このパンのもう一つの売りは、白神山地のブナ林の落ち葉の堆積層からとれた酵母菌を用いて自然発酵させるというもの。用いた粉は「えぞしか」という北海道産の強力粉と、それに全粒粉や、ときにはライ麦粉を混ぜたりもします。
しかしこのパン焼きのイベントにこめた二つのエレメントは、そのどちらも地元青森では既に常識となっていて、イベントとしてのアッピール度が弱いのではないかと、なかば心配してやってきたのでしたが、意外にもアピオスはあまり知られてないか、あるいは「そういえば昔・・・」といったような、つまり現代の食生活の中で、地元の人々でさえその存在を遠い記憶の彼方へ押しやってしまったものでした。
一方ブナ林の落葉の酵母は「こだま酵母」と称して、なんでも秋田側がこの特許を持ってしまったために、ここ青森では意外なほどポピュラーではないし、むしろ無関心といった感じさえありました。ですからここへ来てあわてて、秋田側のショップからネットで改めて取り寄せることになったくらいです。如上の理由でこのイベントは図らずもかなりの話題を呼ぶことになりました。
ただ一つ興味深いことには、これは山下の実感によるものですが、この森の中で焼いてみて、焼くたびに実に気持ちよく発酵し、無理なく素直に膨らんでくれる、ということに気づいたというのです。確かに私から見ても焼き上げたパンは、どれもしっかりと焼き上がっていて、形もダレたりすることなく、きれいにそして美味しく焼き上がってくれるのです。
これはよく言われることですが、パンに限らず発酵食品は、酒でも味噌でもそれを仕込み続けている場所に菌が住み込んでしまっていて、自然に発酵しやすくなっているのだそうです。この雲谷の森の現在は取り立ててブナ林というわけではないのですが、何でも30年ほど前には広大な牧草地だったそうで、でもそのずっと前はどうだったのか。もしかするとこの土地の古層には白神に通ずるブナの原生林があって、この辺一帯にこの酵母菌が未だ住み着いているのかもしれません。そのせいでこのように生き生きとした発酵が行われるのかと、思いを膨らませてみたくなるのです。もしそうだとすると、自然には、やれ行政の境界とか、やれ特許とかいった人間の構える垣根を飛越えて、それを愛するものの許でよりよく生きようとするのかもしれない、とも思ったりするのです。が、もちろんこれは定かなことではありません。
実は私は、太平洋戦争という地球規模の人為的な大破壊による猛烈な食糧難の時代に子供時代を過ごし、加えてずっと病弱であったために、情けないことですが、つねに如何にして何をたべるか、つまり”食”が私の生を繋ぐ一大関心事でした。取り立てていい薬のなかった時代のことで、それは今言うグルメとかスローフードなどといった飽食時代の流行とかとはおよそかけ離れた事情がありました。
ですから今回の”元気の出るパン”はパン好きの私どもが、様々に工夫を凝らして辿り着いた満足できるレシピの一つで、これもこの10年の間にかなりの完成度に達することが出来ました。焼くのは敦子の役目で、私は始め力の要るパン捏ね係でしたが、最近小さなニーダー(パン捏ね機)を導入するにいたって、我が家に起こったこの産業革命に、現在リストラ中なのです。
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