街なかの文字(2)謎文字

─ 実はふぐ料理店の看板 ─
神楽坂ふぐ料理
神楽坂/ふぐ料理屋看板

 この看板始めの「春夏秋冬」はまあ読めますが、次の文字は「福御里」と読めますが、これらは一応篆体の文字ようですが、非常に装飾的で造形的に作られていて、見るからに美しい文字に仕上がっています。この店は神楽坂をあがった毘沙門天のすぐ隣で「福をもたらす里」? と。しかしこれではピントきません。その下に目をやると横文字でFgu Only」と読めます。つまりこの文字を「フグ オンリー」と読ませ、ここはふぐ料理専門店だ、というこの店のメッセージを読み取ることができます。つまり英語はフリガナでもあり、この文字の意味をも名指していたのです。漢字という文字の表音性と表意性を一気に悟らせてくれています。

 そういえばふぐの本場広島では、にごらずに「ふく」と呼ぶそうで、つまり「福」にあやかる魚なのだというわけです。なおよく見ると右端に暖簾の端が見えていて「玄品ふく」と書いて、この店で扱うふぐはみな、生きのいい本場直送の高級品ばかり、という、これもこの店の端的なメッセージでしょう。しかしここに「玄品」とあるのは、私などには、このふぐという魚のもつ玄妙な魅力、つまりその胎内に猛毒を持つというこの魚の曰くいいがたい魅力 ── 実際この魚にとりつかれて命を失った、先々代の三津五郎丈に、生前、何度かお目にかかった折など、ふぐの魅力は「唇にいくらかしびれを感じるくらいなのがうまいのだ、といわれていた食通談義など、それは私のような凡庸な者には、とても理解できない境地ですが ── を思わせて、いわくいいがたい魅力を言う文字、とも読めるのです。

 そして一応これで看板の役目は果たしているわけですが、この看板のに込めたユーモアのセンスはそれだけでは終わらずにさらに、この前に立つ人々にもう一度文字を見なおすようにしむけています。そして気づくのは「福」の文字の左下に、[ , , ] がついています。たぶんこれは仮名につけるニゴリ点のつもりで、それが下についているのは「ふ」の方にではなく「く」の方をニゴリらせたものなのでしょう。つまり関東もお江戸の人間にこの魚を伝えるためには、やっぱり「ふぐ」なのす。これですっきりと「ふぐオンリー」とよめることになりました。まことに凝ったつくりで、恐れ入るばかりです。

 じつは、カメラを少しずつ右へずらすと、通行人に見えるように、大きな水槽にはいつも5~6匹のふぐが泳いでいるのです。昔から「八百屋に看板要らず」ということわざのごとく、この大きな水槽に泳ぐ魚が、何よりの看板ではあるのですが・・・。

─ 新鮮の鱻(せん) ─
「鱻」SEN
「鱻」SEN

 話は跳びますが、その向かい側で、もう少し神楽坂を上ったあたりに、魚を三つ重ねた一文字の「鱻」という看板を見つけました。

 「鱻」とは、近頃使われない旧字なので、まことに懐かしい(私の子供の自分には「虫」だって「蟲」と三つ重ねに書いたものです)かぎりです。

 「魚匠」とあるから魚料理屋でしょう。そして鱻の下に横書きに「せん」と、これはこの難しい文字のふりがなのように書かれていますが、確かにこの文字の音は「せん」で、屋号のつもりでしょうか。意味は「新しい」「生魚」「鮮」。つまり店の名前がずばり「新鮮な魚」! どうやら「玄品ふぐ」といい、店のポリシーを、きわめて鮮やかに印象づけることに成功しているようで、まさに新鮮です。そして運筆についてひとつ。

うお・みっつ
「鱻」うお・みっつ

 魚の字のてっぺんの “ク” は、ふつう、頭から斜めに左方向に払うように運びますが、ここでは反対にまず左下にトンと突いてから、跳ね上げるように運んでいます。三つともそうです。これがかなり “珍” で、道行く人々にかなりなインパクトを与えています。

 ところでこの「鱻」、かなり以前、麹町通りで見かけた覚えがあります。このほうは「鱻」の下に、やはりフリガナが「うお・みっつ」と読ませていたのです。しかし屋号とするにはかなり珍ですが、頭に「うまい酒と 酒のサカナ」とあるだけなので、やはり屋号か。これも謎です。

─ 目を見張るような「夏目亭」 ─
神楽坂/西洋料理・夏目亭
神楽坂/西洋料理・夏目亭

 もう一つ、まったく対照的な篆書体の看板をご覧に入れましょう。やはり神楽坂のこれは一筋裏通りで見つけた西洋料理店の看板で、その躯体は横が約60センチ X 縦約70センチ、分厚い3センチほどの杉の一枚板に、墨痕鮮やかに直書きにされています。

 もともと篆体の文字というのは図形的でどこか装飾的なものですが、だから先のふぐ料理店の場合のように、ちょっと気取った看板などの文字にはよく似合います。それに印鑑なんかによく使われるのを見てもわかるように、看板でも彫刻をほどこして立体的に表現しているものが多いような気がします。

 この場合も写真ではよくわかりませんが、よく見ると文字の周りを籠字状に陰刻の線で輪郭をなぞっています。その分文字が地の板から隔てられて、幾分か強調されますが、陰刻という、筆の文字とは異質な線によって囲まれますから、その際立つ分だけこの文字の身体的自然から遠退き、あるいは野生味が薄れるわけで、その分だけ装飾的に、つまり看板の文字という意識の働に沿った文字になっている、ということでしょうか。しかし看板全体からはむしろ、そうした装飾のソフィスティケイトへと向かうことはなく、文字は、それに伴って、あくまでも闊達な筆さばきで、ちょっと大袈裟ですが、どこか超脱の気さえ放っています。そう、超脱の気。

神楽坂/西洋料理・夏目亭
裏側

 実はこの板の裏側にもう一枚同じ作りの厚板が(つまり看板が)腹合わせに、それも合掌造り状に、しかもご覧のような台車の上に取り付けられています。おまけに大きな裸電球が足下ににゅっと突き出していて、そういう趣向のそれら全体から、気取った体裁などお構いなしの、かなりラフな、野生の趣向にあふれています。やはり”超脱の気”とでも言わせるような風が吹き起こって、この剛さが、おしゃれな花街を訪れる人々の目をとらえる、というこの店の目論見なのではないでしょうか。

 ところで看板の中央に突如として開けられた四角い「穴」。これはいったい何なのでしょうか。何かのファンクションがあるのか、はたまた何かのお呪い?。まさに謎です。夏目亭と読むとすると、真ん中は字は「目」ですが、だとすると何故か横倒しに書かれていることになります。この奇策!まことに謎が謎を呼ぶ趣向です。よく見ると二枚の板の穴の大きさが違います。縦の長さは同じくらいですが、片方がいくらか細く開けられています。とにかくこの穴が発する違和感はまことに大きなものがあって、どうしてもそこにこだわざるを得ません。何らかの事情で穴が先に開けられ、その後に文字が書かれた? とみるのですが、というのは、もし文字が先というなら、「目」の第3画と第4画の間をこんなふうに異常に広くとる、こんな文字は普通書きません。明らかに穴が先にあるか、あるいは予め予定されていて、その穴を囲んで文字が書かれた。いや、まあ、どうでもいいことですが、おもわず誘い込まれて、深入りをしてしまいました。

 でも読者の皆さんがこの記事をお読みくださって、この店の料理を味わってみたいと思し召されたら、ぜひネットで「神楽坂・夏目亭」と打ち込んでみてください。もっともこれに限らず、先の「ふぐオンリー」にしろ、いまはもうネットで検索で料理の写真なども簡単にみることができますから、神楽坂にお出での節はまずネットでどうぞ!。おわり


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