伏せ字の記憶


拭い難い戦争体験と伏せ字

 しばらく前から私は、韓流のTVドラマ、特に歴史劇に嵌っています。例えば『イ・サン』。これは18世紀の朝鮮半島における豪族中心の政治形態から専制君主的な国家へと新体制作りに苦闘する若き王の物語であったり、またさらに遡って9世紀頃、新羅、百済、高句麗の鼎立したいわゆる三韓時代のドラマ『大祖王建(わんごん)』というのもありました。それらがたとえフィクションとしても、多くは当時の中国や倭国をもふくめた周辺の動勢を垣間見せながら、互いに隣国の存在を自覚的に意識することではじめて自国に国家意識が芽生え、同時に相手を敵国として扱ってゆく、といった闘争の過程が凄まじい迫力で描かれていて、ついつい『坂の上の雲』から昨今の東アジアの政治状況をさえ思い併せながら見入ってしまうのです。
 最近、私たちの周辺では、やれ特定秘密保護法がどうの、やれ憲法を改正して、自衛隊の活動の幅を広げようとか、折角の平和憲法に水を差すような、身の毛のよだつ言葉で政治が表現され始めてきました。国会などの論戦などもTVでいろいろの論議の様が私たちの日常にとどけられていますが、どうも〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●なのです。

 この〓や●は活字の「伏せ字」というもので、私たちの子供時代の戦前から戦中の本は、例えばなにか国の秘密や、政治にとって具合の悪いこと、さらには性的な表現、道徳に反するような事柄の表現は、当局の検閲によってこうした文字組で隠されてしまうのです。「●●●●保〓法」とかいわれると、ついつい当時受けた表現の不自由体験の●●のことが想像されて、おびえてしまうのです。それは自衛の為のもので、戦争を目的としたものではない、というのですが、ひとたび風が変われば、そんな悠長なことは云っていられなくなって、やれ国家〓〓〓法などという●●●●法律さえ押し付けられるのではないか、再びそこへ追い込まれるのではないかといった疑心暗鬼。

 ちなみに父は日露戦争で脚に負傷し、私はというとちょうど満州事変勃発の1931年に生まれ、次いで1937年の支那事変、1940年の暮れに始まった太平洋戦争と、子供時代の殆どを戦争教育で育ち、1945年春、米軍の東京大空襲により、下町にあった我が家もろとも、一帯が猛火に包まれ烏有に帰した14歳の恐怖の記憶が、いまなおなまなましく、私の胸を締め付けるからなのでしょう。

切腹のイメージトレーニング

 戦時中の小学校ではさまざまな軍事訓練が課せられたのですが、なかにはなんと、切腹のイメージトレーニングなどというものもありました。たしか5年生のときかと思いますが、いがぐり頭が突然講堂に集められて、正座のうえズボンを緩め、いっせいに左の脇腹に短刀をずぶりと突き立てて、そのまま、きりきりと右脇腹まで引き回すのです。もちろん短刀は持ったつもり、先生がきりきりきり……と声をかけながらその声にあわせて力を込めて切り回わすのです。何遍も何遍も繰り返して、切腹の時間は終わるのです。いつも終わり際に先生は「どうだ、実際に切腹出来る気持ちになるだろう。ふだんからそういう心構えが大切なのだ」と。私たちは「ハイッ!」と思い切り力強く答えるのが決まりでした。

 その時は敵国にむけて●●米英などと叫びながら切腹するのですが、今にして思えば、それをもし●●というならば、同時にわれわれをそうした悲惨に駆り立て、実に多くの命を「廃棄」に追いやった●●●●こそ、と思うのは私だけでしょうか。
 特に戦後生まれの大臣がたには、そうした実感が薄いのはやむをえないことかもしれません。そういう目からすれば、ここ70年近く、戦争はおろか徴兵の経験もなかった、まことに有り難い時代を生きた私の、これは平和ボケ?による戦争アレルギーのゆえといわれるのも宜なるかな、なのです。

 靖国問題にしろ、クリミヤ半島情勢にしろ、尖閣・竹島問題にしろ、アジアの歴史問題にしろ、軍事費の伸び率が前年比12%超などという何処かの国の事情にしろ、歴史的にもこうした、周辺国家同士の絶えざる干渉が繰り返される世界の有様は、つまり国家そのものの如上のごとき性質は、それがたとえ平和とみえても、カント先生によるとそれは単なる休戦状態に過ぎなくて、ですから、平和憲法といわれる戦後日本のそれも、先述のように、近頃とみに●衣に隠れた●を垣間みるような趣を露わにしはじめ、おまけに●●的●●関係とかいって、むしろいかにその衣を巧みに操って、「経済」というもう一つの世界〓〓を発展させるかという、まさに「経済に首根っこを掴まれている」(デュピュイ)政治の、それが正義なのだ、という言説のそら恐ろしさ。もちろんそこにはただいまの原発問題も切実に含まれている筈です。

 それならばほんとうの意味での平和とは、カント先生は「あらゆる敵意の終末を意味」(「永遠平和の為に」)するものでなければならず、それを達成するためにはぜひとも「国家」そのものを「揚棄」する必要があるのだ(柄谷行人)というのです。「敵意の終末」といい国家の「揚棄」── より良い状態に向けてそれを “捨てる” ──というのですが、ではその方法は、となるとどれも私のように、やれ神話だとか妖怪がどうしたとか、ネアンデルタールがどうしたとか、夢のような日常を過ごしている一介の絵描きごときの、思考のキャパシティを、それははるかに超えるモノです。が、ただひとつ、もしそんな私になにがしかの関わりがあるとすれば、それは私のアートがここ30年この方「廃棄」(「揚棄」などという弁証法的哲学的な由緒のものではありませんが)をテーマにして来たということぐらいです。そして昨年のほぼ一年間、小豆島MeiPAMというギャラリーの招きで、この「廃棄」をテーマに個展をしてきたところです。

モルタルで塗られた伏せ字

 そうした「国家」の在り方を思わせる、「伏せ字」についてもう一つ。これは●戦後30年ほどして、私どもは外房海岸の小さな漁村にアトリエを移しました。その村の鎮守様の参道の入り口には「八幡神社」と彫られた2mほどの石柱が立っていたのですが、それはいいとして、その横面にも、何やら文字が彫られていて、それがどうしたことかモルタルでべたべたと塗りつぶされてしまって、よく読めないのです。でもよくみるとどうも「神国大日本」と彫られているらしいのです。「神国」などという言葉は、日本の軍国主義の重要なタームの一つとして、多くの若者を、この八幡宮という “いくさがみ” の境内から戦場に送り出してきた重い文字ですから、なおさらのこと戦争が終わると一転して、危険な言葉、負の遺産として占領軍の目を恐れてモルタルでべたべたと隠蔽したものだったのです。つまり平和日本の施したこれももう一つの「伏せ字」で、そのようにして忌まわしい旧時代の思想を、いわば「廃棄」したのでした。

 ところがなおよく見ると、ふしぎなことにそのモルタルに、がりがりと、なにかの堅い金属でしたような引っ掻き傷が一面についているではありませんか。この無数の線条を一つの文字とみると、これは一体私たちに何を伝えようとしているのか。
ひたすら線条の此の抽象文字は、思うに、平和条約も結ばれ占領軍も引き上げて、恰もその締め付けのほとぼりが冷めるのを待っていたかのように、またぞろ神国の復活を望む力がこころみた「伏せ字起こし?」というもう一つの反動的な「廃棄」だったのです。このような「伏せ字」のおぞましいシーソーゲーム!

 じつは私は看板を始めとする市井の「文字」のありようにも興味を持って『町まちの文字』『祈りの文字』という2著を持っています。爾来60余年、いまでも町まちの文字探索を、もうひとつのライフワークとして続けていますが、そんな中で出会った「神国大日本」のモルタルで塗り潰したこの伏せ字くらい背筋の凍る思いの文字に出会ったことはありませんでした。
 もちろんこれらは国家が直接関わって行われたものばかりではなく、オリンピックやサッカーの国際試合をみてもそうですが、すでに国民の背中には、つねに国家という護符が貼り着いていますから、たぶん国民的情動のなせるものなのでしょう。国家というものの持つそのような装置──。今日も巷では特定の本の頁を破ってしまったり、ヘイトメッセージをやたらと落書きしたり、といった、戦後70年、多分私たちの平和/自由はいま、まさに正念場の時を迎えているのではないでしょうか。(終わり)

※本稿は『私達の教育改革通信』への掲載を目的に書かれたものです。