以上のような意志論、予感知(マンテイア)、直知(ヌース)の理解をふまえれば、アリストテレスにおいては、家族も国家にも、またこの世に存在するあらゆる共同社会にも、ある種の正が存在し、また同時にこの正へのある種の予感知的な、根源的意志(ブーレーシス)に支えられた合意が存在することになるであろう。
ここでは、人間が作り上げた共同的な社会集団、それは家族からはじまって、地域共同社会から、各種の利益社会へ、そして究極的には国家に至るまで、いずれも正が存在すると言われている。ところが、正とはアリストテレスにおいては、比例的配分であったが、この比例が成立するためには、正の関係に入る人間によって、何らかの平等性が相互に認識されていなければならない。しかもこの相互の平等性は、ロゴスなしに了解されているというのである。
もちろん、アリストテレスにおける均等制は、完全な平等性を意味しているわけではない。夫と妻、王と市民、寡頭制における政治指導者と一般市民は、当該社会の固有の価値に応じて配分されるものが相違する。しかし、どのような社会にあっても、比例的配分の基礎的単位として認定されるという意味において人間は均等性を有しているのである。しかし問題はそうした均等性の理解は、アリストテレスによればロゴスなしに万人に可能となる、とされる。こうした意味での均等性の認識は、固有の意味でのロゴスではなく、予感知、直知によってもたらされるということである。こうした観点からみれば、有名なアリストテレスの以下の文章も整合的に理解されるであろう。
『政治学』第1巻第2章で、アリストテレスはロゴスを持つことによって正と不正、利と不利を弁別する人間の固有性を強調しているが、そこではこのロゴス(言)の力の共有こそが家と国家を作る、とまで述べている。
ロゴス(言)が、直知と固有の意味での理性(ロゴス)とを二つながら含んでいるとすれば、人間社会は、直知、予感知として共同の善について合意しているのであり、さらにその合意をより安定的、より明確化するために法的な合意形式としての契約を結ぶということになる。アリストテレスによれば、家族や地域の共同体や国家は、単に歴史的に自然に形成された地縁的、血縁的な共同社会であるだけでなく、また強制的な法的共同体であるだけでなく、何らかの予感知による合意によって維持された共同性を、またこの合意によって共有された共同善としても目的を保持しているのである。もちろんこのような予感知に基づく共同善は、それだけでは安定したものにならず、社会契約という形をとるか否かは別として、ただちに法的な制度化の道を取ることになる。
サンデルの問題意識は、21世紀の社会に必要なことは、この社会的絆自体の崩壊を食い止めとめることであり、成員間の連帯の再構築が必要である、というものであるが、その際忘れられてならないのは、この連帯への呼びかけの前に、予感知として確認されてきた共同の合意の存在を再確認、再定義することであろう。また予感知の中で把握された市民間の目的理解の重なりを再度選択するという行為が必要である、ということである。