ニコマコス倫理学 5 <現代口語訳・注> 荒木 勝 + 石井 泉


蒜山高原は樹木も豊富で「森」の名残りをとどめている。

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【3つの生き方とアレテーの関係】

 さて、話が脇道にそれたが、もとに戻そう。

 たしかに大衆である一般的な人々が善や幸福とは快楽のことだと考えたとしても、彼らの生活からして無理からぬところだろう。彼らは享楽的に生きることが好きなのである。じっさい、生活のかたちは3つに区別できるといってよいが、この享楽的(アポラウスティコ)生活はそのひとつで、他には市民的政治的(ポチーティコス)生活と観想的(テオリティコス)生活がある。つまり、一般大衆が奴隷のようにふとった家畜同然の生活を好むのも、権力を掌握している人々が享楽に耽ったサルダナパトス<前7世紀アッシリアの王>と同じような心情になってしまうことを考えれば、無理もないことである。いっぽう教養があり実践力を備えた人々は、名誉こそが善であり幸福であると思っている。

 市民的政治的な生き方をする人の目的は名誉のためなのである。しかし、名誉は、いま私たちが追求している善とくらべると、より皮相なものに感じられる。というのは、名誉の価値は与えられる人よりも、これを与える人如何にかかっているからだし、また、善はその人固有の何かであり、当人と分かちがたいものとして私たちは予感知<これも造語だが、原語はマンテウオマイで神的に予言する、予知するという意味合いの強い言葉である>しているからである。さらに、名誉の追求は自分が善き人物であると確証したいがためであるように思われる。そのために彼らは名誉が知慮分別のある人から与えられ、しかも自分を知っている人たちのあいだで、自分のアレテー<従来は「徳」と訳されることが多いが、卓越的な力量、能力を示すこともできる多義的な言葉であるため、本書ではそのままアレテーと表記する>にもとづいて与えられることを欲するのである。それゆえこのような人たちにおいてはアレテー<徳、卓越的力量>のほうが名誉より善きものとなることは明らかだろう。

 したがって、おそらく人はアレテーこそ市民的政治的生活の目的であると考えることだろう。だが、これも終局的な目的とはいえない。なぜなら、人はアレテーを有しながら、ただ眠ったように何もせず、何も得ることなく生涯を過ごすことだってありうるからである。また、予期せぬ大きな災難や不運に見舞われることさえありえないことではない。そのような人生をおくった人を幸福であったと、かたよった自説に固執する人でないかぎり、誰も呼びはしないであろう。しかし、これら第1と第2の生活についてはここまでとする。というのは、これらについては「一般向きの書」<アリストテレスの学園リュケイオンでの講義録ではない、外部の人向けに書かれた彼の著作>のなかで十分に論じているのだから。

 第3の観想的生活については、あとに続く考察のなかで取り上げることにしたい。

 <「あとで取り上げる」とはいえ、観想的生活とはどんな「生」のあり方をいうのだろう。観想的生活というと、一般的にいって、観想(静かに想いをめぐらすこと)によって真理の獲得をめざす「象牙の塔」にこもるような特殊な生き方を指す場合が多い。わが国だけでなく欧米でも、いわゆる現実から遊離した学究的で隠棲的な生き方がイメージされがちなのである。しかし、アリストテレスにおける「観想知」が最高存在=最高善の観想を目的にしたものである以上、たんなる「学問のための学問」に奉仕する学究的隠遁生活をすすめるものでないことは確認しておく必要がある。そもそも人間において人を観想知へと誘う動機には、真の幸福を求める深い欲求があり、それは人間の現実的生活への強いまなざしと関連している。実践的な生き方における経験の振り返りのなかでの神的なものの訪れ、多忙な日常生活や仕事の合間、瞬時の閑暇や休息時にふと生じるやはり神的なものへの想い、凝視、驚きなどにもとづく形而上の知的探求がアリストテレスの観想的生のあり方であると思われる。そんな観想的生活における真理と共通善と美の追求こそが彼の考える最高度の「知的実践」といってよいだろう。>

 なお、金儲けや蓄財のための生(クレーマティステース・ビオス→『政治学』第1巻参照)は、何かに仕方なく強いられた<つまり手段としての>生であって、富もまた私たちが追い求めるものではない。これらは実際のところ、何かに役立たせるものであり、それ自身とは別の他のために存在するものであるから。したがって人はむしろ、いま述べたもの、快楽や名誉やアレテーの獲得のほうが生きる目的にふさわしいと考えるであろう。なぜなら、これらはこれら自身のゆえに愛されるだろうからである。しかし明らかに、これらも人生の究極的な目的としての善、幸福ではない。これらのものの擁護のために、これまで多くの言葉が費やされてきたのではあるが、それもここまでとしよう。